PRANJワークショップ記録

「新宮沢構想と日本の経済援助政策」
2001年3月27日 CSIS戦略国際問題研究所 (ワシントンDC)

■  講演者
岡崎克彦氏 国際協力銀行
松本千賀子氏 米州開発銀行
古森義久氏 産経新聞ワシントン支局
村上博美 (司会) ESI経済戦略研究所


村上:今日は3人の方に日本の国際援助政策に関してお話して頂きます。簡単にご紹
介させて頂きますと、岡崎克彦さんは現在、国際協力銀行ワシントン駐在員事務所の
次席駐在員であり、1983年日本輸出入銀行に入行されて以来、旧ソ連諸国向け融
資業務を担当されるなど日本の海外経済援助について携わってこられました。松本千
賀子さんは、米州開発銀行の上級財務官として働かれており、開発銀行の財務政策を
担当、増資交渉、HIPC Initiative (重債務最貧国の債務削減プログラム)、1998年ブ
ラジルの金融危機救済パッケージ等の仕事に従事されました。開発銀行の事務局の視
点からお話されます。そして産経新聞ワシントン駐在特別委員の古森義久さんは、初
代北京総支局長を務められた後ワシントンに戻られ、最近では中国ODAに関する本
も書かれています。古森さんにはコメンテーターという形でお願いしています。


国際協力銀行・岡崎克彦氏
【国際協力銀行とは?】

国際協力銀行の岡崎です。今、村上さんからご紹介がありましたが、私が勤務してい
る銀行は1999年10月に発足したばかりです。それ以前、日本には対外経済協力を担う
組織として日本輸出入銀行と海外経済協力基金という二つの政府機関がありました
が、これら二つの機関が統合して国際協力銀行が発足しました。もともと日本輸出入
銀行は、第二次世界大戦後、輸出振興を目的とした機関ということで、当時のワシン
トン輸出入銀行(現在の米国輸出入銀行)をモデルにして1950年に設立された政府系
金融機関でした。一方、海外経済協力基金は、1958年に日本輸出入銀行内に特別勘定
として設けられた東南アジア協力開発基金を1960年に独立させて設立された経済協力
機関でした。1995年春、当時、日本政府が進めていた行政改革の一つの成果として、
これら二つの機関を統合することが決まりました。但し、国際的な影響に鑑みて、実
際の統合までに4年の猶予が与えられ、その間を利用して準備を進め、最終的に1999
年10月に国際協力銀行として発足したわけです。

日本輸出入銀行は「銀行」であり、海外経済協力基金は「基金」でした。統合によっ
て「(政策)金融」と「援助」を一つの組織が担当することになったわけですが、日
本の援助に対する批判として、「日本は輸出振興のために援助資金を利用している」
ということが言われてきましたので、そういった批判を避けるために、勘定は政府開
発援助(ODA)を経理するものとその他政府資金(OOF)を経理するものとに厳密に区
分しました。一つの組織ではあるけれども、勘定は二つあるという組織であります。

私自身は1983年に日本輸出入銀行に入行、1998年3月にワシントンに赴任、統合を挟
み、既に海外勤務は3年を超えています。大使館の方もそうですが、先進国の場合、
公務員や私たちのような政府機関の職員は海外勤務が3年を越えると帰国休暇の権利
が発生するのですが、その権利を行使する前に日本に呼び戻される慣例がございまし
て、私も今年中にはワシントンから東京に戻ることになるのではないかなと思ってい
ます。そういう意味で本日はこういう機会をいただき、とても有り難く思います。

村上さんからは「新宮沢構想」とそれに関連する課題について話してほしいと言われ
ています。時間も15分間ということで、駆け足になるかもしれませんが、ご説明させ
ていだきます。

【日本とODA:日本は「ODA世界一」?】
1999年10月に国際協力銀行が発足した際、総裁の保田(当時)がワシントンにやって
まいりまして、カムドシュIMF専務理事(当時)やウォルフェンソン世銀総裁とお会
いしました。保田とカムドシュ専務理事との面談には記録取りで私も同行したのです
が、保田が「もともと自分は輸出入銀行の総裁でしたが、国際協力銀行は海外経済協
力業務も担当することになり、これからは自分はODAも担当することになりました」
と言ったところ、カムドシュ専務理事が「ODAは私が知っている唯一の日本語です」
という切り返しがありまして、その場が非常に和んだことがあります。しかし、ODA
という言葉はもちろん日本語ではありません。このことはここにお集まりの皆さんは
よくお分かりだとは思いますが、ODAという言葉は”Official Development
Assistance”という言葉の略で、国際的な用語です。ところが、日本では一般的に通
用するこの言葉ですが、米国ではあまり馴染みのある言葉ではありません。日本は
1991年以降、ODA世界一の座をずっとキープしているものですから、「自分は世界一
だ」と言うわけですが、だいたい2位以下の人達が「自分は世界第二位だ」と自ら言
うことはあまりありません。日本では「ODA世界一」ということでよく使われている
言葉なのだと思いますが、一歩外に出てみると必ずしもそう広く使われている言葉で
はないのです。一方、日本では、例えば「経済協力」とか「援助」という言葉を使い
ますと、おそらくほとんどの方がODAをイメージされるのではないかと思います。

先ほども申しましたように、日本は1991年にODA世界一となり、それ以降から現在に
至るまでずっとこの座をキープしています。90年代は「失われた10年」とも言われると
おり、日本経済自体が非常に厳しかった時期に当たりますが、そういった情勢にもか
かわらず、日本はこの座をキープしてきた。ただ、これはあくまでも「規模の」世界
一でございまして、「クオリティ」はどうかというと、必ずしもそう自慢できるもの
ではありません。例えば国民一人当たりのODAの負担額を見ますと、資金を提供して
いる22カ国の先進工業国では第7位です。またGNPにしめるODAの割合も第7位。それか
ら「贈与比率=グラント・エレメント」という言葉があります。贈与とは100%無償で
あり、資金はあげっぱなしですが、日本の場合はいろいろな事情から有償資金協力中
心でやってきているということもあって、他国に比べて贈与の比率が低くなっていま
す。

【経済協力≠ODA:経済協力の様々なカテゴリー】
きょうは「新宮沢構想」について話す予定ですが、せっかくの機会ですので、まず
「経済協力」という言葉を正しく理解していただきたいと思います。先ほど、「経済
協力」というと多くの日本人は「ODA」をイメージされるのではないかと言いました
が、通常、「経済協力」は「ODA」(政府開発援助)、「OOF」(その他政府資金)、
「PF」(民間資金)に大別されます。まず「ODA」ですが、これには形態別に、@有
償資金協力、A二国間贈与(無償資金協力、技術協力)、B国際機関等への出資・拠
出、に分けられます。かつては海外経済協力基金が、現在は国際協力銀行が供与して
いる円借款は@、松本さんがお勤めの米州開発銀行に対して日本政府が増資に応じる
というような場合はBに当たります。「OOF」は、旧日本輸出入銀行が行っていた、
@公的輸出信用、A直接投資金融等、に分けられますが、ODAと比べると条件は商業
ベースに近いものとなります。「ODA」の@、日本の場合は円借款ということになり
ますが、これはあくまでも政府ないしは旧海外経済協力基金のような政府機関が資金
の出し手となる、そして開発途上国の経済開発や福祉の向上に寄与することを目的と
し、「贈与の比率がGE(Grant Element)25%以上であるもの」というように定義されま
す。これはすごく分かりやすく言ってしまうと、100円のうち25円はあげて、残りの
75円は極めて低利のローンで返してもらう、というような条件になりますが、そうい
う条件で供与されるものは有償資金協力であっても国際的にはODAとしてカウントす
ることができます。ここでは、「経済協力」=「援助」=「ODA」ということではな
く、「経済協力」にも様々なカテゴリーがあるのだということを理解していただきた
いと思います。ちなみに1999年には日本からODAとして153億2300万ドル(ネット)の
資金が流れていますが、この金額が先進工業国の中で最も多く、「ODA世界一」の座
をキープしました。

例えば先進国間の貿易摩擦や投資の問題など世界経済にはいろいろな課題がありま
す。エコノミストに世界経済における不安定要因は何かと聞けば、アメリカ経済や日
本経済の将来ということになると思います。ですが、きょうはそういう問題ではなく
て、開発途上国の経済、開発途上国に対する援助という問題を取り上げます。但し、
本題である「新宮沢構想」の対象国は絶対的な貧困に苦しんでいるような国々ではな
く、マーケットにアクセス可能な中進国です。そうした国々で何が起きて、日本がど
う対応したかということをお話させていただきます。そこでの日本の資金協力の主役
はODAではなく、OOFでしたので、敢えて前置きで経済協力のカテゴリーについて説明
しました。

【21世紀型危機とアジア通貨危機:「アジア危機」とは何だったのか】
1997年7月にタイで通貨危機が起きて、これがインドネシア・韓国へと広がったわけ
ですが、もう少し目を広げて見ますと、94・95年にまずメキシコが通貨危機に陥りま
した。それから97・98年にアジアが襲われて、さらにロシア・ブラジル、そして今年
になってからアルゼンチン・トルコが通貨危機に見舞われています。私はエコノミス
トではないので通貨危機そのものについて長々と話すつもりはありませんが、「新宮
沢構想」とは通貨危機への処方箋ですから、通貨危機とは何かということに触れない
わけにはいきません。少しだけ説明します。

「通貨危機とは何か」と言われますと、私は為替が大幅にかつ急激に下落する状態で
あると考えています。ではなぜそういう状態になるかということですが、現象として
は民間資本が瞬時に、大量にある国から引き上げてしまう、その結果としてその国の
為替が大幅に切り下がって、とめどもなく下がり続ける、そういう状況を通貨危機と
定義していいのではないかと思います。それにはいろいろな理由があると思います
が、アジア危機でよく言われていることは、「金融開放が、必ずしも十分に準備され
ないままに行われた」ということです。整備が不十分なまま、開放された金融マー
ケットに、短期の資金が大量にかつ必要以上になだれ込んだ、そしてそのお金が様々
な投資に向けられたわけですけれども、結果的にはそれが行き過ぎたために、お金が
つながらなくなったところで一気に爆発した。いわゆる「バブルがはじけた」という
現象です。それに加えてアジア危機の場合には、その直前までは例えば世界銀行は
「アジア経済の発展は奇跡だ」と絶賛していたわけで、それがどうしてこういう危機
に見舞われたのかという疑問が加わります。それには今申し上げたような状況、アジ
ア諸国が抱えていた構造改革の遅れが隠されていた面があったのではないかなと個人
的には思っています。アジア危機は他の危機と違いまして、その深刻さですとか持続
性ですとか、伝染力、”contagion”と言いますが、これらがとても強かったもので
すから、非常に大きな経済問題として取り上げらたわけです。現在に至るまで、世銀
・IMFのあり方についてアメリカ、特に連邦議会でも議論されておりますが、そもそ
もこのアジア危機に対する世銀やIMFの対応が正しかったのか、というような疑問が
その議論の発端でもありました。

アジア危機では、タイやインドネシア、韓国が襲われたわけですが、アジアには中国
やベトナム、インド、ラオス、ミャンマー、など他にもたくさんの国々があるわけで
す。こういった国々はあまり影響を受けていません。これは、市場が十分に開放され
ていない、あるいは金融マーケットが開放されていなかったために、逆に民間の資金
が行き場としてそういった国を求めなかったということであろうと思います。では次
に危機に対してどう対応したかということを説明します。

【アジア危機に対し日本はどう対応したか:タイ支援国会合】
97年7月にタイのバーツが一気に下がって、その後どんどん下がり続けているという
ような状況が国際面にはずっと報道されていたと思うのですが、そういった状況に対
して、97年8月、タイ支援国会合が東京で開催されました。この時の議長を務めたの
が、今もそのポジションにいらっしゃるIMFの杉崎副専務理事でした。余談ですが、
昨年、IMFの専務理事の選挙が行われた際には榊原元財務官が選挙に出たことで日本
のプレスにも大きく報道されました。杉崎さんが勤められている副専務理事というポ
ストは専務理事に次ぐNo.2のポストです。現在、そのポストには三人が就いていて、
一番有名な方がスタンレー・フィッシャーですが、日本人も一人います。その杉崎さ
んが議長となって、東京で危機に襲われたタイを支援することを目的とした国際会議
が開催されました。この時に、国際機関と同時に日本政府が非常に大きな役割を果た
しておりまして、IMFを中心とする国際的な支援の枠組みの中で、日本政府は旧日本
輸入銀行によるIMFとのパラレル融資という形で40億ドルのコミットを行いました。
為替がどんどん下がっていく中で、国としてはある時期まで貨幣の価値を維持するた
めに外貨準備を使って価値を維持していこうとするわけですね。そうすると、それに
対してもっと切り下げの圧力が高まれば、介入に必要なお金がどんどん使われていっ
てしまう。そのように外貨準備が急激に減る状況に対して、国際機関による支援と二
国間援助で外貨を手当てしました。ちなみに旧日本輸出入銀行による40億ドルの資金
協力はOOFであり、ODAではありません。タイで必要とされたものはODAのような長
期、低利の資金ではありませんでした。

【流産に終わったAMF構想と新宮沢構想の誕生】
タイ支援国会合の後、インドネシア・韓国と、それぞれの国に対する支援の枠組みが
できていったのですが、その過程の中から出てきたものがAMF構想でした。AMF、即
ち、”Asian Monetary Fund”ですが、巷では榊原さんのアイデアだと言われていま
すが、言わばアジア版IMFを創設するという構想でした。ただ、これはアメリカや中
国の反対で頓挫したと言われています。そこで日本政府が発想を変えて提唱したもの
が「新宮沢構想」です。実は「新宮沢構想」以前も、今、申し上げたようにタイに支
援を行い、またインドネシア・韓国に対してもそれなりに資金を供与したわけです
が、私が98年3月にワシントンに赴任してきた時、「アジア危機に対して日本は何も
やっていない」という批判がアメリカの新聞で目立ちました。日本のアジア支援策が
アメリカの理解を得ていないということで、5月の連休には中山太郎元外務大臣を
ヘッドとした自民党ミッションがワシントンにやって来て、「日本はこれだけやって
いる」ということを一生懸命説明して回られました。「そうやってアジアに支援する
ことは結構だけれども、アジアの立ち直りのためには何よりもまず日本が経済回復を
して、アジアからのモノを受け入れろ」という反応もなかったわけではありませんけ
れども、一定の理解は得られたと思っています。

98年になりますと一応成果も出てきまして、タイもインドネシアも韓国もマーケット
の面では落ち着いてきました。しかし次の問題として落ち込んだ経済をどうやって立
て直すかという問題に直面しました。98年におけるこれらの国の成長率ですが、タイ
で−8%、インドネシアで−14%、韓国・マレーシア・香港などでは−6%などで、実体
経済の悪化が明らかになってきたのです。これにはいろいろな理由がありまして、今
の日本に通じるところもあるのですが、信用収縮の問題が起きていたりだとか、銀行
や企業の返済負担が増えると、返済に必要な資金としての外貨の割合が現地通貨に対
して非常に大きくなって、その結果、財務体質が悪化してしまうというようなことが
起きる。或いは不良債権が増大して企業も銀行もお金を貸したがらない、財政はIMF
の指導で引き締められ、頼みの日本は直接的な支援はしてくれたけれども輸出先とし
ては一向に回復してくれないというようなことですね。本来通貨の価値が下落すれ
ば、国際競争力にはむしろプラスに働いて輸出が回復するということが経済学の教科
書には出ているわけですが、そこに至る前に国内の生産活動や輸出活動が停滞した
り、あるいは有望な産業に金融が回っていない、つまり機能不全を起こしているため
にそういったものにお金が結びついていないということで、実体経済の回復にはかな
り時間がかかりそうだという状況に直面したわけです。

そこで、日本が直接的な資金供与でアジア経済を支えていこうということで発表と
なったものが「新宮沢構想」でした。そういった状態にあるアジアの国々に対して、
まず内需を振興させる、雇用を創出する、金融を円滑化させる、或いは金融セク
ター、企業部門の健全化を図るということがなされるわけですが、そのための資金を
旧日本輸出入銀行が、またそればかりをやっていると社会的弱者への救済が不十分に
なるのでそういった部分にも合わせてODAである円借款を使って支援していくという
ことを日本としてやっていく。要するに、危機への対応から各国の経済の再建という
ことも考えて政策として打ち出したものが「新宮沢構想」でした。従来、日本の経済
協力は日本とある国との関係において議論されてきたわけですが、「新宮沢構想」に
ついて評価できると思う面は、危機に襲われた国々がどういった状態にあって、それ
らを立て直すためには何が必要なのかということについて、日本政府が共通点に着目
してより大局的に考え、その上で政策として打ち出したという点です。そういう意味
では従来の日本の経済協力の枠組みを越えた発想であったことは言えると思います。

【21世紀型危機と国際金融の課題】
よく「日本の援助には政策がない」などいろいろな批判をいただきますし、きょうも
古森さんから厳しい問題提起やご意見をいただくのではないか、その前に帰ろうかな
と思っていますが(笑)、この「新宮沢構想」は、従来の経済協力の枠組みを越えて建
設的な議論が行われ、政策として具体化したものでした。ただ問題は今後の課題で
あって、こういった金融危機は、先ほど申し上げたように「21世紀型危機」とカムド
シュ前IMF専務理事に名付けられているわけです。21世紀が始まって1年も経たないう
ちに、既にトルコ・アルゼンチンが襲われている以上、今後もこういったことが起き
ることは可能性としては否定できません。というのは、利益を求めて世界中を回って
いるお金というのは年々拡大の一途をたどっていて、これらのお金はリスクが多少
あってもいいからと投資先を求めて回っています。そして投資先である国に経済政策
的な綻びがあれば一気に引いてしまう。ということは、これは今の経済や金融の世界
を考えると、違った局面に至るのではないか。公的な資金、国際機関を通した資金で
すとか、或いは各国の二国間の公的な資金にも限界があります。そうすると、民間の
お金をどう活用していくのか、民間のお金を単に利潤の目的としてだけではなくて、
安定的かつプラスアルファの投資効果を生み出すような投資資金としてどう根付かせ
ていくか、或いは、途上国側は危機に陥らないようにするためにどのように構造改革
を進めていくか、危機に陥りにくい構造にするためにはどうすればいいのかというこ
とを考える必要が出てきます。

先ほどアジアの三カ国の例を挙げましたけれども、あの時、危機に襲われた国々に共
通していたこととして、「国際機関からうるさい金を借りるよりは、民間の短い金を
借りてやっていた方が楽だ」ということがあったのではないか。ところが期間の短い
お金というのはあっという間に返済期限が来てしまって、しかも一度引くとなると、
次のお金が来なくなって資金が途絶えてしまいます。こういう問題にどう対処してい
くのかということです。事実を振り返ってみますと、実は通貨危機に見舞われた国と
いうのは、その後急速に回復をしていまして、インドネシアを除きますと、単にアジ
アの通貨危機に襲われた国々だけではなく、ロシアもブラジルも含めて急速に回復し
ているのです。ただ、アジアについて言えば、確かに日本の支援もプラスに働いたと
は思いますが、牽引役はやはりアメリカの好景気だったと思います。そうすると、今
後またアメリカの景気が悪化するようなことが出てきたらどうするのか、というよう
な課題もまだありまして、それらにどう対応していくのか、という問題があります。

【開発資金の歴史的流れから見る21世紀型金融危機の本質:
マーケット・コンフィデンスの死活的重要性】

最後に、開発資金というものがこれまでどういう風に流れてきたのかということを理
解していただけると、きょうの話がよりわかりやすくなるのではないかと思います。
70年代はオイルダラーの時代で、OPECが原油を売り、その代金が先進国の銀行に預け
られ、いろいろな開発資金に回っていったという時代でした。但し、これは1982年に
メキシコが債務危機に襲われた時点である意味では終焉を迎えました。そして80年代
はむしろ、民間の新しいお金は流れていかずに、借りていたお金をどう返していくか
という、言ってみれば累積債務問題が大きく取り上げられた時代でした。民間資金が
流れていかない以上、途上国の経済発展のためには国際機関からお金が出ていくか、
或いは借りたお金を返せない人たちについては返せるように返済スケジュールを変え
ましょうということで、パリ・クラブという債権者クラブでて返済の枠組みを作った
りだとか、そういうことをやっていました。債務危機というのはおそらく80年代で一
段落したわけですが、当時は国際機関や二国間援助を担当する公的機関が「借りたお
金はゆっくりと返せばよい、必要なお金は貸すけれども、そのためには構造調整を進
めなさい」というようなことを言っていたわけです。具体的には経済の自由化を進め
ろとか、民営化を進めろとか、対外開放をしろとか、そういうふうにアメとムチと使
い分けて80年代を過ごしたわけです。90年代に入ると、そういう枠組みは一段落し
て、今度はまた民間のお金が出てきて、それが途上国の中でも非常に投資価値の高い
と思われる国、或いは新たに途上国の仲間入りをした体制移行の国であるとか、俗
に”Emerging Market”と呼ばれていますが、新たにマーケットに出現した国々に大
量に流れるようになったわけです。ところがその実態は、商業銀行の長期の融資とい
うよりはむしろ短期のお金、あるいは証券の発行によるお金でして、期間的にもかつ
ての商業銀行の融資に比べると非常に短かったのではないかと思います。こういう短
期のお金に支えられた国がマーケットに愛想をつかされるとどうなるか、ということ
が金融危機の本質ということです。

金融危機を語る時によく言われるのが、「マーケットが何を期待していて、何を前提
にお金が流れているのか」ということですね。一つはやはり「信頼がある」というこ
とです。貸したお金が返ってくるだろう、投資したお金は回収することができるだろ
う、そして、単に返すだけでなく利益を生み出すという期待があるということ。”
confidence” と”expectation”という言葉で表せると思いますが、こういう前提で
お金が流れている。逆に言えば、期待を裏切れば一気に信頼や期待が低下する、そう
すると一気にお金が回らなくなる、という世界に私たちは生きているというわけで
す。

村上さんからテーマを与えられた時、たまたま同じ村上で村上龍という人の書いた
『希望の国のエクソダス』という本を読んでいました。そこにこのアジア危機のこと
が書いてありまして、「97年にアジア通貨危機が起こったときに、日本はバブル崩壊
以来の不良債権処理に追われていて実質的な支援ができなかった。つまりアジアから
の輸入を受け付けるということをしなかった。政府は数百億円の援助資金を援助した
が、結局は邦銀のアジア向け貸し出しの焦げ付きを防ぐためではなかったか」という
件があるのですが、まぁ、そこまで言わなくてもいいじゃないの(笑)、ということを
少しは理解していただけたのではないでしょうか。

もちろん日本の援助をめぐる課題はいろいろとあって、こういう危機への対応の問題
であるとか、或いはODAに焦点を絞っても、私はこの議論は古森さんが火付け役だっ
たと思うのですが、昨年の政府原案の検討に際して一番議論になったのはODAの三割
削減の問題でした。また三割削減の前には対中援助も議論されました。結論から言え
ば、おかげさまで三割削減は3%削減ということで政府原案がまとまりました。

きょうの話題のほかにも、例えば人材の問題ですとか、援助における日米の違いと
いった問題、あるいは最近話題になることが多いHIPCの話ですとか、NGOの話ですと
か、色々なことにご関心があると思います。それらはディスカッションの時間に質問
やコメントとして発言していただければ可能な限りお答えしたいと思います。駆け足
でしたが、私からは以上です。
 

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文責 松崎太郎氏 (ありがとうございました)