「日本政治ー小泉政権のゆくえ」
ブルッキングス研究所 客員研究員
(朝日新聞 編集局次長) 若宮啓文氏
2001年6月20日 CSIS戦略国際問題研究所 (ワシントンDC)
司会:今日はお忙しい所、たくさんの方にお集まり頂きましてありがとうございます。 PRANJ・政策海外ネットワークという組織をワシントンDCで立ち上げておりまして、そのワークショップという形で月に1回程度、多い時で月に2回程開催しております。今日は、3月まで朝日新聞の編集局次長をしておられた若宮さんにお話をして頂きます。現在ブルッキングス研究所の客員研究員としてこちらにいらっしゃっています。日本政治・外交を主に担当されてきたということで、今回は小泉政権の行方、というテーマで面白いお話をして頂けるのではないかということでお願い致しました。 若宮:5月の初めからブルッキングスの客員研究員という形でこちらに来ています。新聞記者になってから31年と3ヶ月くらいですけれども、政治記者を長くしてきましたので、土地勘は専ら永田町が中心です。また、韓国に留学したりして日韓関係、またもう少し広くアジアとの関係というものに関心を持ってきました。西洋といわれる所には土地勘が全くないのですが、いい機会を得ましたので、しばらくワシントンでいろいろと観察したいと思っているわけです。 |
![]() 若宮 啓文氏 |
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<小泉人気の秘密> 実は、私は4月28日にこちらに到着したのですが、小泉政権が誕生したのが26日で、それを見届けて飛行機に乗ったような形でした。従って逆に言うと、小泉政権発足後の経過については、私もニュース、インターネット、衛星版、また若干電話などで多少は聞いていますが、ほとんどみなさんと変わらないというのが現状です。 とにかくどうしてこんなに人気があるのか、ということがみなさんも不思議に思っていらっしゃることだと思います。政権発足直後というのは大体支持率が高いのが普通ですけれども、世論調査で各紙押しなべて80%前後、というのはそれにしても異常な高さで、びっくりするほどです。私の経験から言ってもこういう内閣は初めてだと思います。細川内閣も非常に高かったですけれど、これほどではなかった。どうしてか、ということですが、もちろん小泉さんのキャラクターによる部分も大きいし、また田中真紀子さんが選挙中からずっと寄り添うようにしてきたということもあります。首相にしたい人の調査をしますと、最近ではこの2人が圧倒的な人気を誇っていて、田中さんが1位だったり、小泉さんが2位だったり1位だったり、また石原さんという人も加わって、この3人が1位争いをしているような状態だった。その小泉さんと田中さんがくっついて、見事に橋本派を負かした。この2人の組み合わせがいわゆる国民的人気を得る上で非常に良かったのでしょうけれども、それにしても80数パーセントというのは説明がつきにくい。 そこで、この小泉人気の最大の功労者というのは誰かと言えば、他ならぬ森前首相だろうと私は思います。ここ数年、政治が閉塞状況にあって信頼感が薄れていてはいたと思うのですが、とりわけ森さんになってから、「ここまでひどいか」という不満が強まっていた。しかも2,3ヶ月で辞めていればそれ程ではなかったのでしょうが、1年丸々やったためにガスが本当に充満しきっていたと思うのです。そこに全く違うタイプの人が現れて、言わばその風船を割ったような感じなんだろうと思います。そういう意味で、森さんなくしてこの人気はない、というわけです。 それからもう一人の最大に近い功労者は加藤紘一氏だろうと思います。これは去年の秋に日本にいらした方なら分かると思うのですが、加藤さんが「造反するぞ」と言って旗を揚げて、国民が皆本当に注目したのですね。今回小泉さんが注目されたくらい、皆「どうなるのだろうか」と。特にクライマックスを迎えた衆議院本会議では、内閣不信任案が出され、加藤紘一一派、いよいよそれに賛成すると。その日はサラリーマンも飲み屋に寄らないで家に帰ったわけです。ところが蓋を開けてみたらなんとずっこけていた、ということで、なまじ期待をしただけにその失望感が大きかった。それで「もう日本の政治というのはいよいよ救いがない」というふうに、森さんが溜めていたガスを一層、結果として加藤さんがさらに濃密にしたのではないかと思います。小泉さんはその加藤紘一を反面教師として、総裁選を戦ったわけですね。それが非常に成功したんだろうと思う。後でお話したいのですが、私がこちらに来る前に小泉さんと食事をした時も、加藤さんの失敗のことを彼はかなり言っていました。 森さんと加藤さんが第1、第2の功労者だとすれば、第3番目の功労者は橋本龍太郎さん、というより橋本派の面々だったのではないか。この人たちが悪役を演じて、小泉さんがそれをやっつけて総理になったという形です。悪役があったから非常に際立ったのではないかと思います。 小泉政権というのは非常に革命的な、というと大げさに聞こえるかもしれませんけれども、少なくとも自民党政権においてここ2、30年の中で革命的と言っていいほどの政権だろうと私は思っています。田中角栄という人が総理大臣になったのが29年前、1972年で、彼はその時に田中派を作ったわけです。佐藤派の半分を分捕るような形で旗揚げして、この田中派というのができて以来、紆余曲折は若干あって、竹下派に継承され、さらに橋本、或いは小渕派となって、また再び橋本派に戻っているわけですけれども、29年間、一貫して総裁選で負けたことがないのです。田中さんが勝って以来、直接総理大臣になった人は竹下さん、橋本さん、小渕さんで、合わせて4人。29年で4人ですから数からするとそう多くはないのですけれど、実はこの4人以外にいっぱい、この派閥が支えて総理大臣を作ったわけです。田中さんのライバルだった福田さんも結局、田中派が後押して政権についた。三木降ろしというのをやって福田さんを総理大臣にしたわけです。それから大平、鈴木、中曽根、宇野、海部、宮沢、最近では森と、これら全部がこの派閥の支持する政権だった。田中政権以来、一貫して負けたことがないのです。その橋本派を相手にして小泉さんが今回負かしたというのは、永田町の中でやはり革命的な出来事であったと私は思います。 そう言うと、他にも違う政権があったのではないか、と思われるかもしれません。例えば細川政権。それを継承した羽田政権というのも数ヶ月ありました。或いは村山政権。これらはいずれも自民党ではありませんが、実はこの3つの政権も竹下派と無縁ではない。竹下派が内紛で分裂して小沢さんや羽田さんが飛び出し、そのあおりで宮沢政権が潰れるのですが、そうしてできたのが細川政権です。つまり一面の見方をすると、細川政権というのはあの派閥の内紛が生んだ政権といえるし、実際に細川政権を作ったのは小沢さんだったわけです。羽田さんも同じ。それから逆に、村山政権というのはそれに対する反動で、アンチ小沢で自民党が村山さんを担いだ。この時には竹下派もこれを必死に支えたわけです。ということを見ますと、竹下派そのものを真っ向から相手にしてできた政権というのは、やはりこの30年で初めて、田中派誕生以来初めてなのです。逆に言うと、それ程田中派以来のこの派閥がこれまで自民党を牛耳ってきた、ということで、自民党を牛耳ってきたということは永田町、そして日本を牛耳ってきた、ということです。そのバックに官僚・業界がいて、いわゆる政官財のトライアングルのまさに中心に、この派閥が30年来居座ってきたと言えるわけです。そういう意味で、これを破った政権は非常に画期的なわけです。 それと関係するのですが、革命的であるもう一つの理由として、小泉さんが一貫して、言うなれば「反自民」というポーズで総裁選を戦ってきたということがあります。自民党の総裁選なのに「反自民」というのを掲げるというのはおかしな感じがしますけれども。もちろん「反自民」という言う方はしなかったかもしれませんが、「自民党は解党的に出直すのだ」ということを主張した。昔「解党的出直し」というのはよく使われたことがあって、例えば小泉さんの親分の福田さんが使ったりしたのですが、大体中途半端なものだった。けれど小泉さんの場合には、相当意味を持ったのではないかと思います。今月発売の『論座』で「小泉バブルの謎を解く」という特集をやっていまして、首都圏と大阪を中心とする大都市圏で蒲島郁夫さんが行った調査の面白い結果が載っています。これは7月号ですが、実は今年の初め頃、3月号にも同じ調査が載っているのですが、結果が全く違っている。前回は自民党にとって非常に悲惨な結果だったわけです。今度の参院選挙がどうなるかという予測をすると、大都市圏では自民党が壊滅的敗北を喫するだろうということが伺われる結果が出ていたわけです。今からすれば非常に面白いのですが、丁度この『論座』の3月号に、このデータを基にした小泉さんのインタビューが載っているのです。「このままではどうしようもない」ということを言っているのですが、小泉さんはこのデータからひしひしとそういうことを感じたはずなのです。従って、「反自民」というか、「今までの自民党を壊すのでないと自民党はもう参院選で勝てないのだ」ということをこの総裁選で訴え続け、党員の中にもそういう意識が非常に浸透していたわけです。だからこそ、この反自民のスタンスが受けて、あれほどの地滑り的な勝利につながったのだろう、と私は思います。従来、党員の選挙ですと、普通の国民の世論調査とはどうしても結果が違ってきた。私達の予測でも、やはり自民党の党員ですから、色々なしがらみ、業界・組織のしめつけ、また色々な利害が絡んで、普通の世論調査に比べればはるかに旧来の自民党的な結果が出てくるのではないか、もう少し具体的に言うと、橋本さんがもっと票を取るのではないか、と思ったのです。ああいう結果になったということは、単に永田町の空気の変化というだけではなくて、自民党全体の末端の人々が、「このままではだめだ」ということをひしひしと感じていた、ということだろうと思います。 東大がだめなのは官僚がだめになったということで、最近では加藤紘一さんがかすって滑った、という感じで、もしリベンジできないとすると、当分東大の芽は出ないのか、という感じを受けます。昔は、特に戦後初期は、吉田さんなどが官僚からリクルートしてすぐに要職に就けて育てたのですが、次第に冷戦構造の中で自民党の長期安定政権が続くうちに、官僚も局長や次官をやっていたら政界に入っても全然間に合わない、ということになってしまった。池田さんとか佐藤さんとか福田さんとかは局長からそのまま政界に入ってすぐにいいポストに就いたのですけれども、段々年功序列型になってきたのものですから、「局長をやっていたからといって突然割り込んできて大臣をやられたのでは困る」というのが自民党のルールになってしまったわけです。ですからひたすら「ドブ板」で、一生懸命選挙区を回って当選回数だけ重ねて、5回、6回になれば等しく大臣にして頂けると。それでも世の中はあまり壊れないでぬくぬくと来た。結局そのつけが今来ているのだと思います。 |
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<時代の移り変わり> ちょっと余談になりますが、歴代戦後政権で首相を務めた人は26人、小泉さんで27人目なのです。吉田さんが2回やっているのですけれども、人数としては27人目。27人の中で東大卒の人が10人。なぜそんなことをわざわざ言うかというと、そこに一つの時代の移り変わりを見ることができるからです。実は戦後の首相10人目までの中に、その10人の東大卒の首相中7人が入っていて、次の10人では3人に減りまして、さらに次の7人の中ではゼロなんです。最近増えてきたのは早稲田。竹下さん以来、竹下、小渕、森ですね。もう一人石橋湛山さんがいましたので、4人です。ここに来て、橋本さんに続いて小泉さんということで、慶應が2人。別に学歴をどうこうと言う趣味はないのだけれども、この数字が何を表しているかというと、東大がだめになったということ、そしてそれはつまり官僚出身の政治家がだめになったということです。東大卒の総理大臣というのはほとんど官僚の出身者でした。ごく一部、例外が片山さんとか鳩山さんとかありますけれども、あとはほとんど官僚です。戦後初期の頃は、芦田さんとか幣原さんとか吉田さんのような外務官僚が、その後は大蔵官僚が増えてきて、官僚がだめになってから早稲田が出てきた。これはほとんど雄弁会ですね。竹下さんは正確に言うと雄弁会ではなかったようですが、兄貴分みたいな存在でした。その雄弁会の人達が戦後の混乱期に政治を語らいつつ集った。そして彼らが大学を出てから、県会議員になったり議員の秘書になったりして、やがて打って出てくるというパターンです。一報、最近の慶應はみんな2世です。慶應出身者は、小沢・橋本・小泉という人たちを見てみると、少しずつ皆違いますが、何となく一匹狼的で、あまり群れを作るのが得意じゃない。早稲田は圧倒的に、政策は語れなくても人脈はすごい、というか、群れるタイプでそれが雄弁会の典型です。こういった変化は一つの時代の移り変わりを表しているのではないかと私は思います。 <細川政権との違い> では一体小泉政権はどこまで続くのか、あの人気は本物なのか、どこまで力があるのか、ということが皆さんの関心事でしょうし、私も同じく関心があります。答えがあるわけではないのですが、私なりの考えを申し上げます。まずは、「細川政権と同じような運命を辿るのではないか」という見方についてです。非常に高い人気を誇りながらも何となく砂上の楼閣で、崩れる時はもろくも崩れてしまう、というのが細川政権だった。確かに細川さんとの共通点はあると思います。それまでのカラーと全然違う、何となく颯爽とした感じで国民の人気を得る、という点では確かに似ていると思いますが、私は似て非なるもので、細川政権とは全く違うのではないかと思います。それはつまり、小泉政権は案外強いのではないかということなのですが、いくつかの根拠を挙げると、まず第1に、何と言っても自力で政権を作ったという点で細川さんとは異なるということです。細川さんは、小沢さん達の分裂によって政権に就いた。それで、自民党が過半数を取れずに色々な政党が集まって非自民の政権を作る時に、社会党から小沢さんまで一緒になって作ろうというわけですから、これはなかなか常識ではできない。その時に統合のシンボルとして担ぎ上げられたのが細川さんだったわけです。ブームを起こしたとはいえ、小党の代表に過ぎなかった。小沢さんの政治戦略に乗っかってできた。結果としては大変な人気でしたけれども、そういう意味では非常に脆弱な政権だったと私は思います。しかし、小泉さんは何と言っても自分で闘い取った。これは大きな違いじゃないかと思います。 もう一つの違いは何と言っても自民党の総裁であること。最大政党、衆議院では単独過半数を持っている政党であり、連立といっても公明、保守とは比べ物にならない数を持っている政党の総裁であるということです。これは細川さんとは全く違う点だろうと思います。 それからもう一つは財界の支持が非常に大きいということ。こないだ主な財界人に調査した所、支持率96%だったとか。要するに、ほとんど全員が支持している。細川政権の時も、財界は細川さんにかなりなびきはしたのですけれども、一方で自民党に気を使わなくてはならないということで半身の構えだった。 それから「支持」についてついでに言うと、アメリカが全面的にバックアップしています。細川政権の頃はクリントンの初期で対日政策が非常に厳しく、実際にクリントン・細川会談は決裂したのですね。とにかく繕ったような関係で上手くいかなかった。あの頃と比べて今度のブッシュ政権は、もちろん注文は色々するでしょうけれど、小泉政権を暖かく育てようというスタンスです。これはまさに田中真紀子外相が来た時の扱い方を見ただけでも分かると思います。あれだけ物議を醸して、アメリカが機嫌を損ねてもいいと思うような経緯があったにもかかわらず、非常に暖かく迎えた。大統領が副大統領まで連れて外相に会った、ということは今まででは考えられない。特にあのような経緯があったにもかかわらず気遣いをする、というのは、おそらく田中さんに対するの気遣いというよりも、この政権と上手くやっていこうという考えからだったのではないかと思います。少なくとも自民党の中では早く辞めさせろという声があったわけで、田中さんを追い詰めたり傷つけたりして、万一辞めるようなことになると小泉政権はもたないかもしれない。そんなことになったら大変だ、ということをアメリカの方もよく分かっていて、非常に大きく包み込んだ。もちろんアメリカとしても、そういう対応をすれば田中外相のアメリカに対する態度が和らぐであろう、ということを期待してのことであったとは思いますけれども、ともかく小泉政権に対して好意的であるという印象を持ちました。その点が細川さんの時とは随分違うのではないかと思います。 それから野党の対応も違います。細川政権の時の自民党は、スキャンダルも含め、隙あらばとにかく細川政権を潰したい、という感じだったのですが、今度の小泉政権に対する民主党は違う。同情するしかないような状況で、こないだ鳩山さんが、「小泉さんがいいことやってくれるのであれば民主党はなくなってもいい」というような事を言って、「党首がそんなことを言うんじゃしょうがない」というので、さすがに後から訂正したりしたようですけれども、本心はそうだろうと思うのです。できるものなら小泉さんが突っ走ってくれて、自分たちがそれを煽って、自民党が分裂して、小泉さんと自分達が組んで政権を取れればいいなあ、とこう思っているわけです。ここら辺が小泉さんにとっては有り難いのではないか、と。またそれと関係するのですが、小泉さんの一番の強味は、これまで申し上げたようなあらゆる状況を背景に、「あまり楯突いたりごたごた言うならいつでも辞めて出て行く。自民党を割って民主党と政権を作ったっていいんだ」という強気のスタンスを党内で取れる、ということだろうと思います。 |
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<政権の展望> 私は小泉さんと3月末に食事をしました。その時は公式にも非公式にも立候補するかどうかはまだ分からない、と言っていた時期でしたけれども、「ああこの人は本当にやる気だな」という印象を受けました。もちろんオフレコでのことですが、彼が言っていたのは、「橋本派から色々な妥協の申し入れがあったけれどもそれは全て断った」と。例えば、郵政事業の民営化さえ降ろしてくれれば総理大臣に推す、というようなこと。或いは橋本首相で小泉幹事長、というようなことも打診があったけれども断った、と。ということはもう戦うしか道が残っていないわけですが、その時小泉さんは「もし自分が橋本派と戦ったら多分負けるだろう。勝ち目はないよ」と言ったうえで「もしその後、自分が自民党を出たら、結果は面白いだろうなあ」と言うのです。まあ、もう時効だろうから紹介してもよいでしょうが、つまり総裁選の後に総理大臣の指名があるわけで、普通、総裁選で勝った人が自民党の代表として首班指名に臨むわけですから負ければそこで終わりなのです。でも彼は、「負けても自分が出たら面白いだろうなあ、どうなるかなあ」というようなことを言うわけですね。ああ、この人はやる気だな、と思った。つまりその心は、おそらく負けても自分に大義名分があるのではないか、国民の支持は絶対自分の方にある、ということです。地方の党員があそこまで支持してくれると思ったかどうかは分かりませんけれども、少なくとも世論調査などをやれば圧倒的に自分に対する支持の方が多い。そうすると、もし負けた場合に国民の意識と自民党内の意識がここまでずれている、ということを大義名分にして、「もうこんな党に未練はない」という形で党を出られる。実はそのことを一番待ち望んでいたのは加藤紘一氏だったわけです。そうすれば去年のことは忘れて一緒にやれる、と思ったわけです。そうして50人位かたまって出れば民主党としてもウェルカムで、一緒にやる構えだった。どこまで小泉さんが本気だったのか、あるいはそういうポーズで一種の脅しをかけて、自民党の中で「俺が負けたら大変なことになるよ」ということをシグナルとして出していたのかは分かりませんけれども、おそらく両面だったのだろうと思います。状況次第で党を出る覚悟はできていたと私は思う。その時にしきりに加藤さんの失敗のことを言っていまして、「彼も最後の場面で一人除名になっても出ていれば今ごろヒーローになっていたのに」というようなことを言っていた。全くそうだろうと思いますけれども、そこら辺の思い切りが小泉さんは非常にいい。そういう所が非常に強味になっているのではないかと思います。 |
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同時に、解散権を持っているわけです。この間,田中真紀子さんに同行して来ていた記者に聞きましたら、既に小泉さんの周辺は「秋に解散だ」と、「参院選で勝った勢いで秋に総選挙だ」というようなことを言い始めているんだそうです。私はあまり本気にしないのですけれども、やろうと思えばできるわけです。一つの案だろうとは思います。というのは、参議院だけではやはり弱いと言いますか、本当に党を掌握していくためには衆議院選挙で勝つ、というのは確かに一つの大きな戦術ですので、あり得るとは思うのです。けれど、私はそこまでしなくても、いつでも「解散権を持っているんだ」というポーズを取ってやっていくことができると思う。しかもその気になれば、国政選挙をあと3年やらなくても済むわけです。乱暴な言いですけれども、そうするとその間にやりたいことを無茶苦茶やっても、選挙がないと思えばやれる。ということは、経済構造改革によって失業が増えるとか、色々なことがこれから出てくると思うのですけれども、覚悟の仕方次第では、選挙を恐れずに改革ができるという有利な立場にいるのではないかと思う。或いは思い切って、そういうことをする前に総選挙に打って出て、その選挙で構造改革を訴えることによってさらに基盤強化、ということもあり得るかもしれませんけれども、いずれにしても強い立場にあるのではないかという気がします。 とは言え、政治記者の予測というのはいつもよくはずれます。私は今日の会場のCSISに来ると、ここのブリアーさんを思い出します。一度私は大恥をかきまして、彼がまだ国務省の高官だった頃にお正月に日本に来られて、1月4日に一緒に食事をしたのです。村山さんが伊勢参りに行ったその日だったのですが、もう相当弱ってきていた政権で、「村山さんはどうなるだろう?」と。私は、「いくらなんでも予算が通るまではやりますよ。春以降ひょっとすると辞めるかもしれないけれど、4月まではもつでしょう」と言って、今のように理由を1,2,3・・・と挙げたのですが、何と翌日、政権を降りるという発表がありました。私はしょっちゅう恥はかいていますが、こんなに恥ずかしかったことはなかった。というわけで、まだ先のことは分かりませんけれども、あえて言えば私はなかなかの政権になりうる、という印象を持っています。落とし穴があるとすれば、ひとつは真紀子さん。どのくらい今回のことで何かを学んだか、或いは学んでいないか、それによってどうなるか、というのが一つ。それからもちろん政策的には経済の状況が左右するのだろうと思います。また、これまでの政権崩壊の原因から推測すると、思わぬスキャンダルが出てくる可能性というのも常にあります。もう一つ、小泉さんは非常に勘のいい人で思い切りもいいのだけれども、それがひょっとすると仇になるかもしれない。政策的蓄積がしっかりあるというよりも、方向感覚を勘で裁いていく人ですが、今までとは立場が違って一国の総理としてトップにいるわけで、その勘が狂った時変な所に向かう、というようなことがあり得る。靖国参拝なんかもその一つのような気がしています。教科書問題に靖国が重なり、中国や韓国をこれ以上刺激してどうなるのか。このような所に何か落とし穴があるかもしれません。 長くなりましたけれども、以上です。あとは質疑応答ということでお願い致します。 Q&Aセッションはこちらへ |
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