PRANJワークショップ記録
| 「歴史としての日米同盟」 同志社大学 法学部 助教授 村田晃嗣 氏 2001年8月21日 CSIS戦略国際問題研究所
(ワシントンDC) |
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![]() 村田晃嗣 氏 |
司会: 日米同盟もちょうど50周年ということで、今日は同志社大学法学部助教授でいらっしゃる村田晃嗣先生に歴史としての日米同盟という題でお話頂きます。ちょっと簡単にプロフィールを紹介させて頂きますと、村田先生ジョージワシントン大学に留学されたことがあり、1995年に神戸大学大学院博士課程を修了されて、広島大学総合科学部専任講師を経て助教授、2000年から同志社大学法学部助教授に就任されました。「大統領の挫折」という著書でサントリー学芸賞を受賞、最近の著書に「米国初代国防長官フォレスタル-冷戦の闘志はなぜ自殺したのか」(中公新書)があります。
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| 村田:ご紹介頂きましてありがとうございます。またお招き頂きましてありがとうございます。たまたま2週間ほど前からヘンリー・スティムソンセンターという研究所に客員研究員で来ておりまして、今回は喜んで参加させて頂きました。何分なにかお話をするような準備をしてワシントンに来たわけではございませんので、非常に散漫な話になろうかと思いますがお許し頂きたいと思います。先ほどご紹介にあったように1951年の9月がサンフランシスコ平和条約と旧日米安全保障条約の締結からちょうど今年で50年です。ご承知の通り9月にはサンフランシスコで日本側は宮沢元総理、米側はジョージシュルツ元国務長官をスピーカーにして調印式の行われたオペラハウスにて大きなセレモニーが開催されますし、日本側ではA50 (Appreciation 50) という大河原元駐米大使を中心にした団体が記念行事を様々やっておりまして、私も9月にもう一回サンフランシスコからフェニックスとリトルロック、ワシントンとキャラバンツアーで回ることになっております。今回は「歴史としての日米関係」というタイトルで、そういう様々な企画がちょうど講和安保の50周年であるという意味でも少し歴史的な話をさせて頂こうと考えたからです。 近代日本の三大同盟外交 大きく分けて日米安保について、三つの側面から比較をして議論させて頂きたいと思います。第一は、近代の日本が国際社会の中で結んだ同盟は日米同盟だけではありません。細かいことをいうと他にもいろいろあるのですが、大きく言いますと近代の日本が持った同盟外交とは三つしかありません。一つは1902年から始まる日英同盟でありまして、これは1921年1922年のワシントン条約で失効致しましたから20年の命でした。二番目は1940年に締結された日独伊の三国同盟でして、これは1945年の敗戦とともに効力を失いますから5年という事になるわけです。そして三番目が1951年から今日に至るまで続いている日米同盟というものでありまして、近代の日本外交では三つの同盟外交というものが存在したという事です。この三つを比べてみると、別に私が思いついて言っている訳ではなくて既に色々な先生がおっしゃっている訳ですからオリジナリティのない話ですけれども、いくつかの共通点と相違点というものが存在します。 三大同盟の共通点―その1 第一は、日本はいずれも自国よりもはるかに大国と思われる国と結んでいる点で、これらの三つの同盟外交には顕著な共通点があります。「日英同盟」については、当時イギリスは世界に冠たる大英帝国でして、その当時の比喩でいうと月とスッポンの結婚という風に言われたわけです。大国イギリスとの同盟が結ばれた時日本国内の世論は熱狂をして、シャンパンとユニオンジャックの旗が大量に売られましてこれらの値段が上がるという珍現象が起こったわけです。 それから1940年に結ばれました「日独伊三国同盟」もイタリアはともかくとして、大国はドイツでした。これは当時の日本でやはり陸軍を中心にさかんに言われたキャッチフレーズで、皆さんご承知の通り「バスに乗り遅れるな」と、ヨーロッパでポーランド侵攻以降快進撃を続けるナチスドイツに便乗するという、これも大国便乗型の同盟であったわけです。 三番目の日米安保条約「日米同盟」は、これは難しいのですがそもそも日本に選択の余地があったかどうかというのはこの時大きな疑問であります。しかしながら日本よりはるかに大きな大国と同盟を結んだという点ではやはり共通しています。 三大同盟の共通点―その2 第2は、この三つの同盟いずれにも具体的な軍事作戦についての詳細な取り組みはなかったと言う点でもこの三つの同盟は共通しているわけです。日英同盟というのが私どもが今日思うような同盟であったか疑問ですが、日本がある国と戦争して(当時想定されていたのはロシアですが)、それ以外の第三国がロシアに荷担するような形で参戦した時にはイギリスは援助するという話ですから、今日我々が思うような同盟とは種類が違います。しかし日英が共同でどういう軍事作戦をとるか、何を協力するかという事についてはさしたる取決めをもっていませんでした。 それから日独伊の三国同盟についても、これは第二次世界大戦中の連合国が、そもそもアメリカなどは参戦に至る前からご承知のとおり大西洋憲章でもってチャーチルとルーズベルトが戦後の世界秩序の理念を高らかと掲げ、戦争中もカサブランカ会談、カイロ会談、テヘラン会談、ヤルタ会談、ポツダム会談と、様々な首脳会談を通して、そして少なくともヨーロッパではほぼ完全に統合された形で軍事活動が展開されたのに対して日独伊三国の首脳が首脳会談を持ったことは一度もございませんし、日独伊が共同で軍事作戦を取ったこともほとんどないというわけです。 それから三番目の日米安全保障条約について、これはあとでも申し上げますが、基本的に長らくこの日米安全保障条約のもとでも、もし日本が某国に軍事侵攻を受けた場合に日米が共同してどういう風な軍事行動をとるのかと言うことについては永らく具体的な取決め、プランというようなものは持たずにこの同盟は続いてきた訳です。それは何故か――何故日本が近代日本が外交上結んだ同盟にはいずれも具体的な軍事行動についての取決めはなかったのか――ということですけれでも、日本との同盟というのが国際政治の主戦場を外れるという事だと思います。国際政治の主戦場って言うのは今もそうかどうか分かりませんけれども永らくそれはヨーロッパであって日本が同盟を結んだような国々も主たる安全保障上の関心、戦略上の関心はヨーロッパにあって日本との同盟というのはその主戦場の裏庭で敵を牽制するために結ばれるというような類のものであり、従ってそれほど微細に至る軍事作戦行動における取決めを必要としなかったと言う事が一つ言えるのではなかろうかと思います。 三大同盟の共通点―その3 それから三番目の特徴は、日英同盟を巡っても日独伊の三国同盟を巡ってもはたまた日米安全保障条約を巡っても、同盟の締結といいますか形成の際に日本の国論が大きく二分されているという点です。日英同盟についても、もちろん日英同盟提携論者は陸奥(宗光)ですとか小村(寿太郎)でありますとかそういう人達が一杯いたわけですが、伊藤博文がロシアとの日露提携論というのを相当しつこく考えていたのは良く知られる所でございます。ロシアと結ぶことによってロシアの脅威を削減しようという考え方と、イギリスと組むことによってロシアと対抗しようとする考え方と日本の政治指導者の間での国論が分裂していたわけです。それから日独伊三国同盟を巡っても、この三国同盟の締結、そもそもあった日独伊防共協定の同盟への昇格というものに海軍が永らく抵抗し続けてきた事は良く知られる所です。米内(光政)海軍大臣が、「そもそも日本帝国海軍というものはアメリカ、イギリスを敵に回して戦うようにはできておりません、ドイツのような二流の海軍国と組んでも日本海軍には何のメリットもございません」と、「ましてはイタリア海軍など冗談にもなりません」と、そういう風に言って米内、それから山本五十六、それから井上成美という軍務局長、このラインで日独伊の三国同盟の締結に反対した事は良く知られる所です。 それから、日米安全保障条約についても先程申し上げたように、そもそもこれに我が国がこれ以外の選択と取る、選択の自由が当時あったかどうか大いに疑問ですけれども、日米安保の前提となっているところのサンフランシスコ講和でも、これはソ連を含めた東側諸国との全面講和を唱えるリベラルな世論(が選択肢)です。アメリカとの同盟関係を前提にしてソ連など東側を抜きにしても早期講和、片面講和(正確には多数講和ですが)全部ではないが多くの国と結ぶ多数講和を推進した吉田政府との間でやはり国論は大きく分裂致しましたし、安保条約を1960年に改定した時にも世論が大きく分裂した事はご承知の通りです。 では、なぜ日本の同盟外交は三回ともこのような国論の分裂を見るに至ったかと言う事ですが、要するにいずれの外交においても日本が圧倒的に大きなシニアパートナーとの同盟を組もうとしたが為に、この同盟というものがほとんど日本にとって国運を左右する重大事であったという事が国論の分裂に結びついた理由であろうと思います。つまりアメリカにとって日本と同盟を結ぶという事は、国運を左右する大事ではありませんし、イギリスにとっても日本と同盟を結ぶことは国運を左右する大事でもありませんでした。ドイツにとってもさほどでもなかったでしょうけれども、同盟を結ぶのジュニアパートナーたる日本にとっては、そのような大国と結ぶという事は国際政治の主戦場でそのような大国と敵対する国と敵対するという事であって国運を左右する大事であると、それゆえに国論が大きく分裂し易かったと言えるのではなかろうかと存じます。 |
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三大同盟の相違点 この三つの同盟で日英同盟がたかだか20年、日独伊三国同盟は5年、ところが日米安全保障条約、日米同盟は50年の半世紀を経てまだ予見し得る将来続きそうな見通しなわけです。何故日米同盟だけがこんなに長く続いているのかという事ですが、これも一つはこの50年の歴史の大半を、ほぼその内の40年間を冷戦という国際構造がこの同盟に覆い被さって支配したことがあげられます。それは日英同盟や日独伊三国同盟があったような多極構造とは違って、multi-polarではなくbipolarの世界に我々はその内40年間生きてきたということです。 |
bipolarであるという事は非常に固い国際政治のシステムであって、逆に言うと予見性は非常に高く、一旦戦争になると大きな戦争になるけれども安定度は非常に高いというそういう時代に我々は40年近く生きてきました。したがって同盟も長く持ったという事も言えるでしょうし、それから第2次世界大戦後おそらく安全保障=securityという概念が著しく拡大をしたともいえるでしょう。そうした中で日米同盟、安全保障をコアにした日米同盟は同盟ではあるわけですが、今までのいかなる同盟にも比べてこの同盟の関係が社会の隅々にまで及んだということではないでしょうか。我々のものの考え方であるとかイデオロギー、学校教育のあり方、産業のあり方、経済政策というようなものまで見えない形でこの日米の同盟と言うのは我々の社会に大きな影響を与えつづけてきたわけでありまして、そういう多元的・多層な結びつきといいますかネットワークというものが一旦冷戦構造が崩壊しても、にわかにこの同盟が崩れないというセーフティーネットとして働いているというような事が言えるのではなかろうかと思います。 新旧日米安保条約の比較 さて、もう一つの比較ですがこれは50年に渡る日米同盟の中で幾つかの節目を考えてみたいと思います。もちろんその始発点は1951年の旧安保条約の締結で、次の大きな節目は1960年の安保改定という事になるわけです。この二つの日米安全保障条約は、これももうご承知の方たくさんいらっしゃると思いますけれども、顕著な違いがあるわけです。1951年の日米安全保障条約は私は特に申し上げたいと思いますけども、ワシントンで安全保障の事をご研究されたり勉強されてる方々には是非是非そういうベーシックヒストリ−ドキュメンツというものは是非読んで頂きたいと思います。旧安保条約のテキストとか新安保条約のテキストとかそこに付随しているところの交換公文とか、そういう基本的なものを見ずにミサイル防衛の行く末とか今後の日米防衛協力とかいう話をday to dayに追いかけてもややこれは浅いところがあろうと思います。そういう意味では原点に立ち返って安保条約のテキストをもう一回つぶさに読んでみるというのは、私はこれは非常に大事なところだろうと思います。1951年の安全保障条約は、基本的にはご承知の方多いとは思いますがアメリカには日本防衛の義務は無かったわけです。在日米軍は、日本に展開する米軍は日本の防衛及び極東における国際の平和と安定の為に寄与する事ができる、"can be utilized"と書かれているわけであって、使わなければならない理由・義務はなかったということです。それに対して日本は無防備な状況で、まだ無責任な軍国主義の風潮がきわどい国際社会の中で、自ら身を守る手段を持たないので引き続きアメリカに在日米軍の駐留を依頼するという形、つまり日本が頼んで米軍にいて頂く、占領が終わっても引き続き日本の方がお願いして米軍にいて頂くという形でした。アメリカはその米軍を日本の防衛及び極東の平和と安全の為に用いることはできるけれども、それは義務化されていませんでした。しかも日本は、アメリカ以外の国との同盟や、外国軍隊の日本駐留、外国軍隊の日本の領土領空の通過であるとかいう事を外国に認めるときにはアメリカの許可を要するということでした。それから在日米軍は日本政府の明示の要請を受けて日本国内における内乱の鎮圧にあたることができるということもありました。そしてこの条約には期限はないという事が旧安保条約の基本的な性格であり、これは主権国家間の条約として考えるならば著しい不平等を持ったものでした。アメリカは義務を負わず日本が一方的に基地を提供し、その在日米軍は日本人に向けて発砲する権利を持ち、そして日本が同等の条約を外国と結ぶときにはアメリカの許可を要す、しかも無期限と極めて不平等な条約であったわけです。 旧安保における吉田内閣批判に対して こういうところを取り上げて、最近の日本の研究者の中には旧安保条約の締結というのは吉田内閣の大きな失敗であったという風に、吉田外交批判を展開する学者もいます。アメリカは安保条約の締結の際日本に二つの事を求めている。一つは在日米軍の引き続きの駐留、もう一つは日本の再軍備・防衛力の強化です。吉田は日本の経済力を考えると再軍備というのはとてもできないというので、ダレス(国務長官)に対して再軍備を断り、しかしながらこの米軍の駐留というのは大幅にアメリカに譲ったという形で、従ってアメリカは一方的に駐留できて防衛義務を負わないという不平等な形で日米安保条約が1951年に結ばれたのであって、これは吉田内閣の大きな誤りであるというような議論が近年の我が国の外交史学会の中でなされているわけです。 私は基本的にそのような議論は間違いであるというふうに存じます。まず何よりも、吉田外交にとって最大の課題は日米安全保障条約の内容の詳細ではなくて早期講和、できるだけ寛大な形でサンフランシスコ平和条約を早くに締結するという、それが吉田外交の一番大きな課題でありました。外交には優先順位があるわけですから、その最優先目標を円満な形で解決する為には、より吉田にとってマイナーな問題であった日米安全保障条約のコンテンツについてアメリカに譲るという事は吉田外交にとってはそれほど理不尽な事ではなかったということです。 旧安保の形式上の不平等性 しかしながらやはり人間にとって形式というものは非常に大切なことでございます。しかもとりわけ、「衣食足りて礼節を知る」というのは非常に古臭い見方ですが、戦後の混乱のなかで日本がまだまだ生活水準も低く社会が安定していない時には、吉田のいうような中味さえ取れれば建前・表現はどうでもいいのだという考え方も十分あり得るわけです。しかし戦後日本が復興し、1956年には経済白書が「もはや戦後ではない」というようになって参りますと、やはり主権国家としてのプライドと言いますか、そのナショナリズムの問題に直面するわけです。このナショナリズムの問題と言うのは今日に至るまで、日米同盟において非常に大きな(いかなる同盟関係においてもそうですが)アキレスの腱になります。なぜなら同盟というのは自主性をある程度放棄する事によって安全を得ようとする営みですから、どうしても何程かナショナリズムというものを刺激せずにはいない訳であって、日本のように非常に非対称な形で大きなものを捨てて安全を得ようという同盟でナショナリズムがくすぐられるのはこれは当然のことです。 従って、この形式上の不平等性を正すという事が長期的な日米関係にとって重要であるという考え方が出て参りました。それが1960年の安保改定に繋がるわけでございます。1960年の安保条約では第5条の在日米軍が日本を守るという防衛義務に、「各国の憲法上及び法律上の手続きに従って」という但し書きがついておりますけれども、アメリカが日米で共通の危険に対する事を誓約するというので、第5条によってアメリカが日本防衛の義務を負うとなっています。そして第6条では極東の平和と安全の為にその在日米軍を用いることができるという事になっており、期限は基本的に20年で一年前の申告がなければ更新は自動的にされるという事です。それからその米軍が日本国内の内乱紛争上に出動できるという内乱条項は削除されるということになり、形式的には前の条約の不平等性がここで大幅に拭われるわけです。ただ、やややっかいなのは、旧安保条約ですとアメリカは日本を防衛する義務は無いにも係わらず日本はアメリカに基地を貸していると関係は、誰が見ても明らかに不平等です。新安保条約では、アメリカは日本有事のときに日米共同での対処を約束し、日本はアメリカに基地を貸したという事なのですが、アメリカ側から出てくる不満は、ではアメリカ本土までとは言わないまでもハワイやグアムが外国から武力攻撃を受けたときに日本はアメリカ防衛のために立ち上がるのかという事です。アメリカが日本防衛を約束するならば、日本もハワイやグアムが(つまりアメリカが) 攻撃されたときにアメリカ防衛の為に立ち上がると、これがmutuality=相互性というものであるというのがアメリカ側の理屈であるわけです。 日米安保の相互性 そこで本日に至るまで問題になっている集団的自衛権の話が出てくるわけです。日本はアメリカが攻撃されてもアメリカを守れない、ではここの非対称性をどう乗り越えるかと言ったら、まず一つは当たり前ですけれども日本は基地を貸しているんだという事です。この基地は何も日本を守るためにあるのではなくて、専ら実は在日米軍基地というのは日本防衛よりも実質的には極東平和の安全と、アメリカの国益に深く関わるところの極東の平和と安定の為に在日米軍が使えるのであると。我々は自国を守ってもらうためだけに基地を貸しているのではない、あなた方はもっとこの基地を自分達の利益の為に使っているという理屈です。ここでまず、日本はアメリカを守れないけれども相互性は確保できているという仕組みが成り立つわけです。それからもう一つの苦しい理屈は、在日米軍が攻撃された時には日本は立ち上がっていると言う事です。在日米軍はアメリカ人、我が国の領土の中にいる米軍が攻撃されれば我々はそれを守るため共同で立ち上がるという事です。それが集団的自衛権の行使であろうが個別的自衛権の行使であろうがアメリカにとってはどうでもいい。それは理屈の問題に過ぎませんので。しかし日本側の理屈は、在日米軍基地が攻撃されると言うことは日本のテリトリーが攻撃されているわけですから、これは個別的自衛権の発動としてアメリカと共に戦えるという事です。だから我々は、アメリカが攻撃された時には全然お助けできませんというわけでは無い、日本にいる米軍が攻撃されたら我々は立ち上がるんだと。そこでも相互性は維持されているというもう一つの、いささか苦しい相互性がそこで確保されているという仕組みになっているわけです。 しかし旧安保と新安保と中身が本質的にどう変わったかというとやっぱり変わらないといえます。アメリカは基本的に条文でどう言おうが日本を守ると、それに対して日本が何が出来るかと言ったらアメリカに基地を貸す、これは旧安保条約を結んだ当時の外務省の条約局長であった西村熊雄という人が「安全保障条約論」という、今は中公文庫で読むことができまして非常に味わいのある本でありますけれども、この中で西村は旧安保条約のことを「モノと人との条約である」と、つまり日本は米軍基地というモノを貸しアメリカは在日米軍という人を出している、この関係はモノと人との関係であって相互性は維持されていると西村は言っているわけです。この西村の巧みな比喩をもう一度借りるならば、旧安保と新安保は本質的に何が変わったかといったらそんなに変わらない。しかしながら我々日本人のカルチャーではお中元やお歳暮(最近は余りしなくなりましたし、公務員などはますますもらってはいけないのでしょうけど)で日頃お世話になっている方に何か差し上げるという時に、我々はカツオブシを手でぶらっと持ってお世話になっている方の上司だとか恩師の家に行って「お世話になりました、お中元です。カツオブシです」とポンと出したりしないということです。たとえ中味がカツオブシのお中元でも我々はそれを、おそらく桐の箱か何かに入れてその上にのしをかけて「お中元 村田」と書いて、その上をまた紐で結んでそれを絹の風呂敷で包んで、相手の玄関先まで伺って「日頃お世話になっております。」と言って風呂敷を解いてそれで渡す。日米安保も、旧安保も新安保も中身のカツオブシは同じである。しかしながらそれが桐の箱に入ってのしがかけられて風呂敷に包まれているという事が大事なんだという事です。つまりこの形式上の差異というものが実は非常に重要だと言う事を西村はそのお中元(お歳暮)の例えで言っているわけです。それももっともな事です。 ガイドラインの実行性 しかしながら、本質的に1960年安保で日米安保の性格が必ずしも大きく変わったわけではありません。次のターニングポイントと言うべきものは、これは私は1978年の古い方の日米防衛協力の指針、ガイドラインの策定であろうと思います。と申しますのは、この旧ガイドラインによって初めて日米は、日本有事の時の共同作戦研究に着手する事ができます。逆に申しますと1951年から1978年まで27年間、日米同盟あるいは日米安保と言いながら、この同盟関係は日本有事の時に日米が共同でどう対処するかといういかなる計画も持たなかった、果たしてそれは同盟かという事も問われてしかるべきだと思います。1978年の旧ガイドラインによって初めて日本有事の際についての日米共同の作戦についての研究に着手するという事になったわけです。しかしながら、これも今日では明らかですが、日本有事の研究について防衛庁の一部は積極的でありましたが、まず外務省はそれ程積極的ではなかったという事です。 第2番目に今申し上げたような吉田内閣批判の根本的な欠点は、同盟というものを条約の条文でしか解釈しようとしない狭量な発想がそこにあります。たとえアメリカが日本を防衛する義務をその条約に明示していなくても、ついこないだまで6年間に渡ってアメリカが占領し、アメリカによって憲法を下し渡され民主化した日本、しかも北東アジアにおいて最も戦略的に重要な位置を占める日本、しかもそこに引き続き米軍がいるところの日本が第三国から武力攻撃を受けたときにはアメリカが条約上の防衛義務がないからといってこれに介入しないと考えるのは全く国際政治上のナンセンスであります。全く一切無条約の状況でアメリカは日本よりもはるかに戦略レベルの低い朝鮮半島に1950年に介入をしたのでありまして、一旦明示的な武力攻撃が第三国から為さればアメリカは日本防衛の為に絶対武力侵攻する、それは吉田のようなリアリストにとっては自明であって、条約の中に義務があるか無いかなどという事は瑣末な問題にすぎなかったわけです。 それからこの旧ガイドラインでは日本有事の研究だけでなく、今度は極東有事の研究というのがあります。これはアメリカからしてみれば、日本有事の研究と極東有事の研究、これは今の安保条約で言えばそれぞれ五条と六条に対応する事態ですけれでも、どちらが大事かといえばこれはもちろん六条事態、極東有事の研究の方がはるかに重要である事は言うまでも無いわけです。何故ならば現実的に考えてみて、ある日、日本だけが第三国に突然攻撃されるという事態は軍事的にはまず考えられないですね。ソ連が日本だけを単独で攻撃してくるとか、他には一切軍事行動をとらないけれどもある日突然ソ連が北海道にやって来るとか、ある日突然中国が日本にミサイルを打つとか、ある日突然北朝鮮が日本に侵攻して来るとかいうシナリオは実際問題として考えられないですね。そもそも中国にも北朝鮮にも日本に強襲上陸する軍事力はありませんし、ソ連についても冷戦の最中でも基本的には極東ソ連海軍には在日米軍の太平洋での優位を乗り越えて強襲上陸する能力は無かったと思われます。しかしいずれにしても日本だけをターゲットにして一体ソ連が何しにやってくるのかという話なんです。考えられるのはヨーロッパなり極東なりで米ソの緊張が高まってその派生としてソ連の軍事攻撃が日本にも及ぶという、波及的有事の方が当然考えられるシナリオで、とすれば現実的に言えばまず考えなければいけないのは極東有事で日米が何を協力できるかという事です。余り現実性のない日本有事よりも極東有事の方がアメリカにとって大事なのですが、日本有事の研究がまず先であるということになり、極東有事の準備というのは日本では受け入れられない議論でした。極東有事の研究については当時の日米防衛協力小委員会で数回、二回だけ会合が開かれていますけれども実質的にはその後たなざらしになっているわけです。一つには、やはりこの集団的自衛権の問題も出てきましょうし、それから日本有事の研究でも外務省は当時腰が引けたわけですが、極東有事という話になると今のガイドラインの話がそうなんですが、本格的に極東有事の研究を考えますと外務省と防衛庁だけで済まないわけです。運輸省が当然出てきますね、それから怪我をした米軍を収容するとなると厚生省が出てきますね、それから労働省も当然出てきます、科学技術省も関係あるかも知れない、およそほとんどの中央官庁全部が導入されなければ極東有事の研究などできない訳です。けれども1970年代の後半、あるいは1980年代、特に1970年代後半は保革伯仲の時代ですが、野党第一党である社会党が安保の正当性そのものを否定している時代状況のなかで、そのような研究をinter agency で、多数中央官庁が共同で進めると言うことは政治状況的に当時としてはほとんど不可能であったということです。 そのような旧ガイドライン、せっかく日本防衛の場合については日米で研究だけでも始めようという1978年のガイドライン、しかし本当に大事な極東有事については研究すら事実上着手できないままに終わったガイドライン、その期限を過ぎた宿題が1997年になされたわけです。これがいうなれば日米安保の第4段階でありますが、この新ガイドラインによって今度はより現実性の高い、今度は極東有事という言葉が使われずに周辺事態という言葉が使われるようになっておりますが、周辺事態における日米の防衛協力が真面目に考え出されるようになって我々は今言うなれば戦後の50年に渉る日米同盟史と言いますか、日米安保史の第4段階にあるという事が言えようかと思います。しかしこの1997年のガイドラインが改定されてからも、実は多くの事が積み残しになったままです。一つには日本の政治的リーダーシップが非常に混乱して力を発揮できないという事と、ここ数年顕著になってきた官僚批判というもの、日本経済の衰えなど色々なものが混ざりその後の新ガイドラインのimplementationと言いますか実行性という点については当時期待されていたほど実は大きく進んでいないまま今日を迎えているというのが我々の今いるステージではなかろうかと考えます。 |
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内閣法制局の見解に対して おそらく今後の課題として、当然集団的自衛権の行使の問題がもうちょっと現実性を帯びた政治的課題として描けてくるだろうと思います。私は今の内閣法制局の集団的自衛権の行使に関する解釈は、これは日本の多くの学者が同じような事を言っていますけれども、基本的に間違っていると考えます。内閣法制局の見解は基本的に非論理的であって間違っていると思います。内閣法制局の今日の見解は、日本は主権国家として国際法上当然個別的及び集団的自衛権を有していると、それは当たり前でありまして、国際連合の憲章にも書かれておりますし旧安保条約にも新安保条約にも我が国が個別的及び集団的自衛権がある事が書かれておりますし、日ソ共同宣言にも確か書いてございますし、多くの条約に日本が個別的及び集団的自衛権を保持していることついては明記されており、このような条約をわが国の国会は批准をしているわけですからこれは疑うことのできない事実であるわけです。 |
しかし、内閣法制局の見解は我が国は個別的及び集団的自衛権を保有しているけれども、憲法上集団的自衛権の行使は認められないというのが内閣法制局の今日に至るまでの、といいますか1972年ぐらいにこの見解が出てくるわけでありまして、1972年から今日に至る内閣法制局の見解はこのようなものであります。これはよく言われるように、「保持しているが行使できないものを我々は論理的に権利と呼べるであろうか」という事で、行使できないものはおそらく権利ではない、というのが一つの議論であります。 それからもう一つの議論は、この内閣法制局の見解では国際法上日本は集団的自衛権を保持しているけれども憲法上行使できないというこの見解では、では憲法上も我が国は集団的自衛権を保持しているのか否かという事について内閣法制局は答えていません。国際法上は保持している、しかし憲法上は行使できないと、では憲法上保持しているのか否かという事に対して内閣法制局は明確な答えをしていません。もし憲法上も保持しているという理屈が成り立つのであれば、憲法上保持している権利を憲法のどこが明示的にその行使を禁じているのかという事に内閣法制局は今度は答えなければならないわけです。 それから三番目に、おそらく内閣法制局の見解の根本にある、法律論を超えた根本的な誤謬というのは、おそらく内閣法制局は集団的自衛権の行使というものが、個別的自衛権の行使よりも何かしら大きくて危険なものであるという前提に立っていることです。だから個別的自衛権の行使は許されるけれども集団的自衛権の行使については必要最小限の軍事力の保持しか認めない、日本国憲法の第9条に反するという議論になるわけです。しかしながら多くの場合実は集団的自衛権の行使の方が個別的自衛権の行使よりも安全な場合があります。つまり他国とリスクを分け合うわけですから。少なくとも論理的に集団的自衛権の行使の方が個別的自衛権の行使よりも危険でスケールが大きいものであるという風に論議することはできないはずで、そこにおそらく法制局の議論の一番大きな欠落があるのだろうと思います。 従って、多くの方がおっしゃってますが、私は成すべきステップの第1歩は、この内閣法制局の非論理的な解釈を政府の責任で変える事だと思います。第9条改正という話も当然ありますけれども、私は第9条の改正にいきなり飛びつくことは現在の内閣法制局の解釈が正しいということを認めることになりますから(その解釈が正しいから第9条のもとでは集団的自衛権の行使ができないから、第9条を変えなければいけないという話ですから)、第9条を今変えようという議論は暗黙の前提として誤った内閣法制局の憲法解釈を認めることになります。まず最初にやるべきことは憲法改正ではなくて内閣法制局見解を内閣の責任において変えるということです。私はこれはそんなに大変なことでないと思いますね。閣議決定すればいいと思います。閣議決定で「我が内閣は集団的自衛権における従来の見解を変える」と言えばいいんだと思います。私はそれが法律的に不可能だとはとても思えない。少なくとも内閣法制局は過去において見解を変えているわけですから。法制局は一貫して同じ見解を持ってきたわけではないですから、彼ら自身見解を何度も変えているのですから、むしろ内閣が閣議決定して変えればいいと私は思います。もしそれに対して世論や野党のrepercussionが大きいのであれば解散総選挙をやればいいんですね。解散総選挙をやって内閣法制局の見解の改正を巡って解散総選挙をやってその内閣の率いる政党が、再び多数を持って国会に帰ってくるのであれば民主主義国会においてこれほど正統性の高い事はないのであって、内閣法制局の見解で憲法のあり様が変わるよりかはよっぽど民主的であると私は思います。その次のステージとして憲法改正という事が場合によって考えられます。私はできれば必要だと思いますが、これについても「憲法9条」というから誤解が生じるのであって憲法9条の第1項を変えようと言っている人は我が国ではいない、問題は憲法9条の第2項なわけです。憲法の目的を達するために「陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない、国の交戦権はこれを認めない」という第2項が問題なのであって、第9条第1項の平和主義の精神を変えようと言っている政治勢力や言論人はいないわけであって、問題は9条第2項であります。9条第2項をより誤解の少ない読み方ができるように変えるというような事は、これは長期的な課題として考えられることであろうと思います。 最後に 最後に一言だけ申し上げますと、この集団的自衛権の問題が最近色々な所で議論されるようになっております。集団的自衛権の行使が認められるようになるかどうかというのは、これは大きな前提の問題ではありますが、この事によって何か日米関係が抜本的に変わるかのようなドリームは我々は持つべきではないし、あるいはそのような期待をアメリカ側に持たせるべきでもないと思います。結局同盟の営みというものは日々のday to dayの煩瑣な業務から成り立っているわけであって、集団的自衛権の行使を巡る政府解釈が変わったら日本が突然色々な事ができるようになってイギリスなみの同盟相手国になって、日米同盟がすごく強化されるというのは、私はちょっと飛躍しすぎな感じがします。少なくとも集団的自衛権が行使できるという事と、それをどのようにそしてどの機会に行使できるかという事は全く違う次元の判断であって、そこには政治の英知が求められる所であって、集団的自衛権について更に議論を重ねて、できればこの同盟の第5段階に至らなければなりません。しかしながらそれによって何かが全く大きく根本的に変わるような期待というものを日本国内にも、あるいはアメリカにも常設すべきではないと私は思っております。 |
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| つづきはこちら 文責 井坂 容子氏 (ありがとうございました) |
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