PRANJワークショップ記録
| 「歴史としての日米同盟」 Q&Aセッション 同志社大学 法学部 助教授 村田晃嗣 氏 2001年8月21日 CSIS戦略国際問題研究所 (ワシントンDC) |
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Q1:昨年の10月に出ましたアーミテージリポートで、憲法9条と集団的自衛権の行使に対する記述がありました。それについてはどうお考えですか。またそのレポートの路線を継承したブッシュ政権全体のスタンスに対してはどうお考えでしょうか? |
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A1. まず第一にですね、アーミテージレポートの中では私はあのくだりはあまりできの良くないくだりだと思います。というのは、集団的自衛権における日本政府の解釈というものは日米同盟に対して障害であると書いてあって、おそらく私の記憶が正しければそれだけなのです。その一文だけなんですね。集団的自衛権の行使に関する我が国政府の解釈が日米同盟をどう強化する上でどう障害かについてはアーミテージレポートは何も言っていないわけですね。非常に立論としては弱いパートを構成していると思います。それと、アーミテージさんが「集団的自衛権の行使に関する日本政府の解釈が問題である」とおっしゃっていることは全然ニュースとはなりません。彼は毎回言っているので全く驚くには値しない。それは岡崎大使が言っても誰も驚かないと同じで、前からずっとおっしゃっている ので当たり前の事なんですね。大切な事はそこにジョセフ・ナイ、マイケル・グリーンという人達の名前が連なっているということなのです。マイクは彼自身がおっしゃるところのincrementalist(漸進主義者)であって日本国内の政治的混乱を招くことまでして打開しようとするよりは、できる所から一歩一歩変えていけば良いというのが彼がずっと言ってこられたことです。それからジョセフ・ナイだってある種の日本の軍事大国化にも危惧があるし、それに対する近隣諸国の過剰な反応に対しても危惧があり、また別に集団的自衛権の行使に彼が今まで強く求めたことはないと思います。グリーンの方は民主的ではないけれども、そういう共和党の中道から右っていう色分けはどうか分かりませんけれどもアーミテージさんに代表されるようなラインだけではなくてもっと広いアメリカのポリシーエスタブリッシュメントの声が、少なくとも集団的自衛権の行使についての日本政府の解釈が変わっても構わないという点ではボトムラインとしてのコンセンサスができたという事が、おそらく一番大事なことだと思うのです。それが一つです。しかしだからどうしたという所では、私はあのレポートのできはそんなに良くないと思います。 それから、あのくだりだけではなくてアーミテージが去年の10月に出されたという事のもっと大きな位置付けを我々がどう考える、かという事ですが、もちろんアーミテージさんもそれ以外にレポートに書かれて今政府に入っていらっしゃるケリーさんとかトーケル・パターンさんとかグリーンさんとか皆日米同盟大事だと思ってくださってるし日米関係を大切だと思ってくださっていることには私は全く疑いの余地はないと思います。しかし去年の10月の段階でああいうレポートが出たということがこの新政権の日米同盟強化の証と考えるべきかどうか、という事について私はもう少し慎重であってもいいと思います。つまり対中政策についてはレポートは無いのです。アーミテージの対中政策レポートなど出ていないわけです。朝鮮半島についても、アーミテージさん達が朝鮮半島といって彼らだけで政権が始まる前に打ち出したものはないですね。つまり真に政策が要請される地域について彼はレポートを出していないです。つまりアーミテージレポートが去年の10月の段階で出たという事はとりあえず日米同盟関係には大きな争点は予見されるところはなく、日米同盟の強化というのは誰もが原則同意なわけですからそれについて人々、世論を啓発するようなレポートを出すことには意味があるという事であって、あのレポートが出たという事が本当に日米重視の証かどうかといういうことは、私は皮肉に言えば日米同盟に当面大きな課題がないからこそ書けたレポートではなかろうかという気も若干はするのです。それは集団的自衛権の問題と同じであのレポートについてもその精神というかその基本ラインは非常に結構な事なので、そういう方向に向かって我々は努力しなければいけないと思いますが、ああいうレポートが出たという事を非常に重視して日本側が期待するという事はいささか危険な感じがします。なぜなら少なくとも日本人と約40-50人のアメリカ人以外はアーミテージレポートなんて知らないのですから。 Q2:今回の靖国参拝のリアクションとそれを踏まえての集団的議論の繋がりですが、今回の一連の動きで興味深かったのは靖国参拝に対して国内的な支持は実はかなりあったではないか、ただ最終的に様々な国内的政治プロセスを通じて結局小泉総理がピントをずらした背景としては、中国・韓国が極めて強行に反対した事、その背景として国内の教育と言いますか日本のナショナリズム的なものに対する反発が世論として強硬に残っているらしい。そこがある意味で実際のところ障害であったという点が興味深かった。翻って集団的自衛権の解釈変更について考えると同じ構図が成り立つのかなという気もしています。もしこの解釈変更を行おうとする場合には、靖国参拝と同様にシンボルとしてのリンクがされて、日本のナショナリズムの強化に対する同様の反発が起こって、同じようにそれは日本の国内にフィードバックされそもそもそういうものが正しいのかと思って中国・韓国に配慮して時期尚早だという形になってためらうのでは。それを解決するにはどうしたらいいかというのが質問で、靖国=ナショナリズム=危険だ、解釈変更=ナショナリズム=危険だ、とこの中間にくるナショナリズムなり軍国主義なりの概念をもっと分析的に解体しなければと思います。ここが鍵だと思いますが、それを含めて一体どういう形で中国・韓国の国内の世論を変えていく方策があるのかのと言う事についてお聞かせ下さい。 A2. 大変良いご指摘、タイムリーなご指摘を頂いて有難うございます。靖国の問題と集団的自衛権の問題は、おそらくややもすれば同じ方向に流れるという事はおっしゃる通りだと思いますが、根本的に違う点は集団的自衛権を行使できないと言っている国は世界中に日本しかない事です。自国は集団的自衛権を保持しているけど行使できないというような事を政府方針として取っている国は世界広しと言えども日本しか無いわけです。時期尚早論もこれは集団的自衛権にアプローチする時の二つの道筋があって、私はどちらが正しいかまだ分からないのですが、原理的に言いますと、時期尚早なんて関係ないのです。内閣法制局の解釈が間違っているのですから。論理的でないのを正すのに集団的自衛権の行使ができるようになったから我が国が直ちに海外派遣をする、とか日米同盟関係の運用のあり方が突然変わる、とかいうような話ではなくて、権利として保持しているものは時と場合によっては行使できるのだと、いう事を確認するのに時期尚早という事は本来私はないと思います。これは原理の問題ですから。しかも一部の人が集団的自衛権の行使を認めるにしても、集団的自衛権の行使は他国の領土では絶対できない、というある種の制限を付して認めた方がいいという議論も一部にはあり、私はこれは全くナンセンスだと思います。「権利」と言うのは、あるかないか行使できるかできないかであって、それを行使するときにどういう風に運用するか、というのはこれは政策レベルの話ですから憲法改正の問題ではないという風に思います。原理原則の話からすれば、時期尚早か否、というのは私は全然問題にならないと思います。ただ実際にそれを政治の場で議題にあげていく上では色々なmomentumというものが必要になってくると思うのです。最近色々な人が言っていることで二つあるのは、私は後者の方がいいと思いますが、一つはミサイル防衛の話ですね。ミサイル防衛というものを日本が本格的に推進しようと思って技術的可能性が相当高まってきた時に、第三国がミサイルを発射しようとするときに早期に打ち落とすという事になれば、これは集団的自衛権の行使に、今の憲法解釈で言えば当然なるのであって、ミサイル防衛というのは今の憲法解釈ではやっていけない、という一つの突破口になるかもしれない、という風におっしゃる方が一部にはいる。これは、私はミサイル防衛の専門家ではないですが、発射段階で敵のミサイルを打ち落とすのはどうか、いう技術レベルにまで達するにはおそらく相当時間がかかることですから、そのような事を前提にして、だから集団的自衛権の解釈を変えなければいけない、というのはやや技術的に無理な議論と言いますか、それこそ時期尚早な議論の気がします。 それよりもう一つの可能性は、私はPKOだと思います。つまりそれこそナショナリズムというものを超えて集団的自衛権の国際的正当性を主張しようとすれば、PKOが一つの突破口としてあり得ると思います。もちろんPKOは厳密に言えば集団的安全保障の問題でありますから、集団的自衛権の問題ではありません。しかし例えば、日本がアフリカでもアジアでもどこかにPKOとして自衛隊を出しているという時に、日本のPKO部隊の隣にタイでも韓国でも別のPKOの部隊がいるとしましょう。そして共同でPKOの活動をやっている時に反政府ゲリラ・武装勢力が現われて、しかも彼らが極めて賢明にも日本の自衛隊には全く発砲せずに横で今まで共同作業をしていたタイの陸軍あるいは韓国のPKO部隊にだけ発砲し、彼らがゲリラに打たれて次々に倒れていく時に、日本のPKO派遣の陸上自衛隊は仮に武器を持っていてタイ軍はたまたま武器装備を持っていないとしましょう。そこでは我が陸上自衛隊はその隣で攻撃されているタイの部隊を助けるためにゲリラに対して発砲できるか、といえば今の内閣法制局の解釈で言えば、これは集団的自衛権の行使でしょう。それはできないと思いますよね。ただ日本が国連安保理の常任理事国入りをも含めて積極的にそのようなPKO活動を海外で展開していくことを考えた時に、集団的自衛権の現行解釈というのは大きな足かせになるし、それに何よりも日本が国際社会に貢献する日本として務めを果たす上での必要最小限の条件資格を備えるために必要だ、というのは、私はその方が説得力のある議論になるのではないかと思います。 それからもう一つナショナリズムの話については、申し上げることまでもない事ですけれども、ナショナリズムそのものが良いものであったり悪いものであったりする訳ではないのです。良いナショナリズムもあれば悪いナショナリズムもあるわけです。そういっても非常に難しいのですが一つの良いナショナリズムの状態には、互恵主義のセンスをもっているかどうかということです。日本には日本のナショナリズムがあって、しかしその時に韓国のナショナリズムを無視したり中国のナショナリズムを無視したものであればそれは片方だけのナショナリズムで、様々あるナショナリズムのなかでも余りできのよくないものだと思うんですね。件の問題の歴史教科書が余り出来が良くないのは、自国のナショナリズムを主張するのは大変結構なのですが、しかし一方で中国や韓国のナショナリズムがあるという事に対するセンシティビィが極めて低い、という事です。ナショナリズムというのは互恵主義的なものである、という認識があの本の中に極めて薄くて、それであの教科書がナショナリズムの観点から歴史を書こうというのは、私はそれ自体は悪いとは思わないけれども、余りできの良いナショナリズムを前提にしてないと思うのです。 それからもう一つはやはり靖国の問題とも関係しますが、日本の国内の一部で、いわゆるアジア太平洋戦争が、満州事変から始まったと考えるのか、1928年の上海事変から始まったと考えるのか議論が分かれるところです。アジア太平洋戦争と言われるものに対して日本の侵略戦争とか戦争責任とかいうものをほぼ全面的に否定しようとする声が日本の国内のごく一部に存在し、その人達が非常に声高な発言をしているという事はやはり問題だと思うのです。いかなる国も個別的及び集団的自衛権を持っていますし、行使できる状況にあるわけです。しかしながら、もしもあのアジア太平洋戦争においてすら、いかなる意味でも日本に侵略性がなかった、という議論が成り立つのであれば、つまりあの戦争ですら自衛戦争であったという議論を日本人が声高に主張するのであれば、自衛戦争と侵略戦争の区分はほとんど無意味であって、我が国の自衛隊が純粋に自衛の為の存在であるという議論が、自衛のためという名目であのアジア太平洋戦争すら引き起こせると言うことになれば、これはほとんど意味がなくなるのです。我が国の自衛隊の正統性を高め、個別的及び集団的自衛権の保持及び行使に対する近隣諸国の不信感を低める、という意味でも我々はある一定の範囲によって明確に戦争責任というものを明確に認めると言うことをしなければならないですし、そして私の理解では政府はしてきた訳です。けれども、今回の総理の靖国参拝で犯されたミスは、非常に前から行くとおっしゃり続けたことです。これは政治的にはほとんど無意味であって、あれだけ繰り返して靖国に行くと言い続けたと言うことは、仮に小泉さんが行かなくても既に国内リベラル及び近隣諸国を十分刺激しているわけです。そして行かなければ今度は国内保守勢力を失望させるわけですから、どっちにもどうにもならない状況を小泉さん自身が作られたわけで、それは彼の政治家としての大きなミスだと私は思います。しかし総理がいらっしゃるとかいらっしゃらないとか、という事を超えて、それが日本のどういう歴史認識に結びついているかという事を示すことの方が大事であって、そういう意味で私は総理が出された政府談話というものは非常に良く書けていたと思います。ところが残念なことに、私は新聞・メディアでしか今回はこちらで見ておりませんが、Washington PostにしてもNew York Timesにしても総理談話というのはほとんど紹介されずに、靖国神社が軍国主義の象徴であってA級戦犯が合祀されている、とか韓国の人が抗議している、とかそういう話ばかりで首相談話のメッセージというものがうまく伝えられていないという所が非常に残念な所であって、ここでもやはり日本はPublic Imageの戦いで敗れているという印象を深くせざるを得ません。 それから靖国の事について申し上げますと、おそらく小泉さんの頭の中では靖国の問題というのは基本的にアジア外交の観点から彼は考えているかも知れないけれども、この問題は深く長期的になると対米関係の事としても考える必要があるのです。つまりその根底にあるのは東京裁判史観というものですから、その東京裁判史観とはサンフランシスコ平和条約の11条に「日本は東京裁判を受諾し…」(注・原文では、日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾し…)という条項が出てまいりますが、突き詰めて考えていくのであればその東京裁判の正統性とかアメリカの日本占領の正統性とかそういう所まで遡っていくのであって、長期的には弱いジャブの繰り返しのように日米関係を揺るがすことになるかも知れない。だからあの問題は対アジアの関係だけでなくて対米関係とも結びついているのだという意識が若干希薄なのではないかなという気が私はします。 |
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Q3:たぶん靖国の問題と集団的自衛権の問題というのは中国と韓国と受け止め方が違うし、中国に関して言えば、日本側が日米で集団的自衛権の話等の時に、TMDとか台湾海峡の有事とかそういう話をしたとすれば、そういうことは中国側からしたら絶対受け入れ難いと思うのですね。その一方で韓国だったらば例えば朝鮮半島の有事とか考えた場合に多少その辺の立場が違うと思うのですが、その辺りについてご説明お願いします。 A3: 韓国と中国との間に我が国の集団的自衛権の行使解釈の変更を巡って、温度差とか度の違いがあるというのは明らかだと思います。それは、この後の日韓関係が無事で続ければであって(今後どうなるかは)分かりませんが、韓国だって同じように強硬になるかもしれませんけれども、少なくとも韓国はアメリカの同盟国ですから、その点はおっしゃる通りですね。 |
それから中国がこの集団的自衛権の行使問題についてもやはり相当強硬ではないかという事ですけれど、1982年に歴史教科書問題がありまして、あの時でもそうですけれども基本的に中国が日本の事で大きな批判の声を国内であげる時の大前提は日本国内のメディアの報道なのです。つまり日本国内の世論が分かれていなければ中国は騒がないのです。騒ぐ意味がないですから。そのことは非常に大きいと思うのです。靖国神社の問題はやはり国内で相当議論を詰めに詰めても原理的な対立というのは残ると思います。人間の歴史についての考え方ですから。だけれども集団的自衛権の話というのは慎重かつ合理的に進めていけば靖国神社の問題のように誰かの生き方に関る問題では実はなくて、どうしようもない大きな国内世論の分裂というものをこの問題がもたらすとは私には思えないのです。そうすると、中国がそれに乗じて声高に批判する機会が違ってくるだろうという事が一つ。それからもう一つは、靖国神社の問題はやはり過去の戦争と関係していますから中国の知った事かとは我々は口が裂けても言えないわけです。ところが集団的自衛権の行使の問題というのは、中国が既に行使している権利を我が国が行使するということについて、あるいは少なくとも行使できるという立場に立つことについて中国がそれについて批判する事には我が国は耳を傾ける必要性は理屈の上ではないので、靖国神社の問題と集団的自衛権の問題で中国が同じようにプッシュしてきても、プッシュの効き方が全然違うと思います。 Q4:日米地位協定のことについてお聞きします。沖縄でレイプ事件等が起きるたびに問題になっており、日米地位協定を改定しないといけない、という議論が起こります。 結局は小泉首相も何も言わなかった。一方でアメリカの立場は、韓国との地位協定の関連性がある、と言われています。この点についてどう思われるでしょうか?具体に改定していかないといけないと思いますか? A4. 改定していかなければならないかどうかはわかりませんが、おっしゃるように、地位協定が非常にポリティカルコストの高いものであることは間違いありません。第一のポイントとして、この話は、今日と京都議定書の話に若干似ているところがあって、日本人は、条約なり協定を締結したり、変えることが最終目的であると考える傾向がある、ということです。日本人は京都議定書の批准によって世界が救われると思っているところがあるのです。問題は、議定書の精神によって目指されているような、世界環境の保護や促進と言うものがさらに追及されることが大事なわけです。議定書そのものは、目的のための通過地点に過ぎない。日米地位協定の同じようなことが言えると思うのです。おそらくその「改定」と言う時には、やはり日米関係の安定や、円滑な運用が究極の目的であって、地位協定の改定そのものはその目的を達成するための手段であるから、通過地点にすぎない。そのような視点で地位協定を見てみると、地位協定を変えることに伴う政治的コストと、それによって得られるachievement、あるいはそうでなくても達成できるかもしれないachievementを考えた時に、合理的かどうかというのは、私はやや留保を要すると思いますね。アメリカの立場としては、日本に対して地位協定を改定するならば韓国やその他の何らかの地位協定を結んでいる国々との改定しなければならない、というスタンスを持っていると思います。これはジム・アワー氏(元国防総省日本部長)が言っていたことですが、アメリカが日本のような地位協定を結んでいる国は、ざっと70くらいある、と言うのです。(日米の地位協定の見直しを諮ると)連鎖的に(他の同盟国と)改定を求める動きが出て来る可能性がある。アメリカにとって相当政治的コストがかかるので、出来れば改定はしたくないというのがアメリカの本音だと思うのです。 第二のポイントとしては、今年6月末に起きたレイプ事件についての皮肉な記事がワシントンポストに出ていましたが、日本とアメリカの捜査、逮捕、裁判に対する考え方の違いが根底にある、ということです。例えば、今回のレイプ犯と言われる空軍の人が警察に起訴されるまで、米軍嘉手納基地に身柄を拘束され、沖縄県警の求めに応じ、その都度出頭して尋問を受けてまた帰っていく。そのプロセスと、すぐに逮捕されるのとどこが違うのか。一つだけです、違うのは。どこで寝ているか。本当は何も変わらない。嘉手納基地の中でも身柄を拘束されているし、求めに応じて県警の取調室にいかなければならない。すぐに身柄が引き渡されたかどうかということと本質的にはどこが違うか、それはどこで寝ているか、ということのみです。日本側の拘置所で寝ているか、嘉手納基地の中で拘束されているのか。ベットは違うでしょう。日本人の感覚では「逮捕」と言うものが非常に大事なものと考えられている。「犯人が逮捕された」、ということは、わが国の報道の姿勢あるいはわれわれ一般の感じ方でも、とても大きなことであるわけです。犯人が「逮捕された」というと、事件が解決されたような感覚がある。ところが、それから起訴されて、事件が解決する。「逮捕」というものは、本来は長い捜査のひとつのステップに過ぎないわけです。なぜ逮捕するか、それは逮捕しなければその被疑者が証拠を隠滅したり、逃亡する可能性があるからです。逮捕すること自体には大して意味は無い。一番大事なのは起訴されることであって、最終的に有罪判決が下りることが大事なのです。逮捕そのものは、そのための手続きに過ぎない。しかし、多くの日本人にとって、「逮捕」そのものが懲罰なのです。例えば、ここに来ている日本人の方々には逮捕された人はいらっしゃらないでしょうけれども、ちょっとしたアメリカ人の集まりに行ったら逮捕されたことのある人なんていっぱいいるのかもしれない。逮捕されたって、起訴されなければ問題が無い。ところが日本人は逮捕されただけで親が出てきて「申し訳ありませんでした」と謝罪するでしょう。つまり、「逮捕」という言葉に相当の認識のズレがある。 第三点としては、日本のPKOがアクティブになって日本の自衛隊が海外に出て行くとその認識のズレも埋まっていくのではないか、ということです。ホスト国と国連とが地位協定を結んでいるわけですよね。国連がホスト国と結んだその地位協定によって日本の自衛隊が守られている。そうでなければ、例えばPKOで日本の自衛隊部隊が中東に行って、その国の人妻と恋をしたら左手を切られるとか、そんなことがありうるわけです。イスラム法が適用されずに国連PKOとアラブのホスト国との地位協定によってその自衛隊が守られている。日本人はいつも被害者側であると考えがちであるけれども、われわれが海外にもっと駐留するようになれば、われわれの立場が逆転するのであって、その辺の感受性を国民が持つようになれば、認識のズレも埋まっていくのではないのかな、という淡い期待があります。 |
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Q5:二点ほど質問があります。第1点目は、先生は中央公論で、ブッシュ政権は旧世代、中世代、最新世代に分かれていて、旧世代の人たちはベトナム戦争の思い出があって、大量に死傷者が出ることは避けていきたい、と言っていて、その過程でPKOは同盟国にまわすようになっていくのではないか、と書かれている事についてです。最近、ライス女史あるいはラムズフェルド氏が同盟国にPKOのようなlow-techなことは任せておいて、アメリカはhigh-techのことを重視すればよいと発言しました。この政策について、先生はどのようにお考えになられますか? 第二点目ですが、ラムズフェルド氏が最近、二正面作戦を新しい戦略の枠組みでは止めにしたいと言っています。今までは、大規模な戦闘が行われた時にアメリカは同時に戦ってかつ両方ともに勝ちたい、という考えのもとで議会からたくさんの予算を取っていた。彼はミサイル防衛をしたいので、衛星も飛ばしたいと思っているでしょう。そうなると予算が必要になってきますよね。そのように考えてみると、(ラムズフェルド氏の新戦略は)今までのロジックとかみ合わなくなってきているように思います。先生はどのようにお考えになられますか? |
| A5. まず第一点ですね。PKO、言うならばDirty
Work、Nastyなことは同盟国にやってもらって、アメリカはClean Jobをやる、というDivision
of Laborですが、結果としてはそのような方向に向かうと思うのです。だけれども、ずいぶん昔に沖縄の海兵隊の司令官で「ビンのふた論」を提唱した将軍(ヘンリー・スタックポール氏)が、在日米軍はビンのふただと言った。日本軍を抑えるビンのふた、Cap
on the bottleと言いました。それと同じで、おそらくそうであろうけれどもそういうことを公に言うことはPolitically
collect
ではない、と言うだけの話だと思うのです。おそらくそういう方向になるだろうけれども、あまりアメリカ政府の要人の方がおっしゃらないほうがよい、と思うのですね。結局それは、アメリカが提供しうる
high-techというものを、他の国が提供できるかというと、できないわけですから、そのことの重要性のほうをもっと前面的に押し出して議論されるべきだと思いますね。事実であろうし、そうであろうけれども、あまり言うべきことではないことのように思える。この件についても、私は別に深い考察からお答えしているわけではありません。 もう一つの方は、ラムズフェルドの米軍ミッションの再編の話ですね。基本的に、私はここにいる皆さんのようにずっとワシントンにいて事情をウオッチしているわけではないので、まったく旅行者のオブザーバーの考察でしかないのですが、私は基本的におっしゃるとおりだと思いますね。ラムズフェルド国防長官はご承知の通り、フォード政権でごく短期間、史上最年少で国防長官をやっていたわけですが、今度は最年長で国防長官をやっているわけです。そこで2度目の国防長官にしては、少なくても今までのところ、ラムズフェルドのマネジメントのスタイルは非常によろしくないと思います。それは、おっしゃった議会、軍の再編についての議会とのコンサルテーションを非常におろそかにしているのではないかという印象を私は受けるからです。それから、軍人とのコンサルテーションも十分ではないのではないかと思うのですね。結局、ラムズフェルドのDOD(国防総省)が、どのような形で米軍のミッションなり編成というものを再定義するにしたって、最終的担保として絶対に必要な勢力、つまり議会と軍、軍事力そのものを蚊帳の外に置いたような形で、今まで彼の少数の側近と外部の有識者を持って米軍の再編計画をここまで進めてきているわけです。そしてそれが、にっちもさっちもいかなくなると、それを四軍、陸、海、空軍と海兵隊におろしてあなた達の間で議論しなさいという。予算と編成の減少を伴うような問題を軍にやらせたって、泥棒に戸締りをしなさいというようなものですから、ほとんど出来ないことを、彼はこのたびにおいて要求していると思います。そういった点で、私は少なくてもこの半年間の彼のマネジメントのスタイルは相当の疑義を感じます。 私が前に書いた記事の中で世代論のようなことを言った覚えがあります。それはつまり、ブッシュ政権の外交政策のメンバーというのは三世代に分かれていて、ニクソン・フォード時代にいた人、つまりラムズフェルドのような人たち、それが第一世代としていて、第二世代にはレーガン・ブッシュ時代の日米同盟の全盛期に活躍した人、ウォルフビッツやアーミテージ、そういうのが第二世代で活躍していますね。そして今回まったく新規参入の人たち、マイケル・グリーンさんや、パット・クローニンさんなど新たに政府に入られた方達、これがいうならば第三世代の人たち、で三構成である、ということを私は確かに書いたのですね。それで、一番古い旧世代について言うならばPKOの話とは関係ないのですが、旧世代はおそらく日本について相当なObsessionを持っていると思うのです。それは、第二世代がある意味で、日本について明るいイメージ、かつてのロン・ヤス時代の同盟国日本、事実かどうかはわからない明るいイメージを彼らが引き継いでいるのと同じように、第一世代と言うのは実体以上に暗いイメージを日本に対して持っていると思うのです。というのは、第一世代が政権で活躍したのは70年代であって、その70年代の日本というのは、アメリカにとって何であったか。経済的には途方もない危険なライバルであり、軍事的にはまったく当てにならない同盟国であったのですね。それが70年代のアメリカにとっての日本で、そのイメージを引き継いでこの2001年に、彼らがある種そういうイメージが根底に残りながら日米関係に直面しているのならば、旧世代の対日イメージは暗い、という感じがいたします。 Q.6 結局の今日本の中で沖縄の地位協定の問題やアメリカの政権に対して日本がどう思うかなど、いろいろな質問が出たと思うのですが、総合的に村田先生の目から見て、まず日本の安全保障政策上に必要なものは何ですか?まともな人を政界に送り込むというのも一つの案だとも思いますが。 A6. 第一点は政策志向の政治家を育てる、というのは当然言うまでもないことだと思います。官僚の自信回復、これは早急に図らないといけないと思います。これは、どちらが先に来てもいい気がしますが、今は最悪のコンビネーションでしょう。かつては、民主主義国家において官僚が政策を作り、政治家が実施していたわけです。つまり本来は逆なわけです。本当は政治家が政策を作り、官僚が実施すべきところを、官僚が政策を作り、その実施プロセスにおいて政治家が関与することによって利潤を拡大していくというのが、55年体制の基での自民党政治のあり方ですよね。ところが、諸般の事情でもはや官僚が政策を形成できなくなった。厳しい批判と、彼ら自身の質の低下もあるかもしれませんが、官僚が政策を作れなくなって、しかも政治家も政策をまだ作れないという状況です。ですからこれは非常によろしくない状況で、できたらどちらかが作ってほしいと思います。本来の筋道であれば政治家が政策を作って官僚が実施する、というのがいいのでしょう。いずれにしても政策を形成するの能力のある政治家を作らないといけないわけで、それを自信を持って実施できる能力を持った官僚がいなければならないと思います。政治家が強いだけでは、政策がうまく実行されないので。有能な官僚を持たなければならないと言うのが第二点。 第三点目。public education というものをわれわれはもっとよく考えなければならない。そのときに、安保に関して言うならば、この日米同盟があたかもリスクやコストを伴わない同盟であるかのような偽善を政府は繰り返すべきではない、と思います。台湾海峡の有事や朝鮮半島の有事において、多くの場合、わが国が巻き込まれる可能性が非常に高い。もしそのことをわれわれが回避するのであれば、アメリカと同盟関係をもっていることの意味のほとんどを失う。これは日本人の神社仏閣に対する感覚もそうでしょうが、非常に御利益主義でしょう。神社でも、仏閣でも、教会でもどこでも行くけれども、お願いしていることは、「試験にとおりますように」とか、「病気になりませんように」という「お願い」であって、信仰心に支えられているわけではないですよね。もちろん同盟は宗教ではありませんけれども、理念の共有というものがあって、そのためにはコストとリスクを伴う、という覚悟がないといけない。どうも戦後一貫して日本の政治も外務省のような役所も日米同盟に伴うリスクやコストを国民に啓蒙することに関して非常に腰がひけていて、そのメリットだけ、「アジアの平和と安定のために」というような奇麗ごとを繰り返してきて、そのことが国民の長期的な不信感を募っていると思うのです。だから、われわれは時には(日本の安全保障に対して)コストを払わないといけない、ということを教育するということが、政治家、役人、あるいはわれわれのような自由な言論人の仕事でもあるかと思います。そういうpublic educationというものが、非常に重要なことだと思います。 第四点目は、政治家、役人、あるいはわれわれのような自由な言論人にしても、日米同盟というものをもう少しグローバルなコンテクストで見るという訓練をもっと恣意的にやっていかないと、どうしてもこの日米同盟というのは閉じた二国間関係になってしまって、アメリカの前提としているグローバル・ストラテジーが見えず、しばしばそれに翻弄されるということに陥ってしまうと思うのです。だから最低限、アメリカのグローバルな戦略の中で関係性、日米同盟がその中でどのような位置を占めているのか、という比較の視野を持たなければならないと思うのです。アメリカがもっている他の同盟関係、2国間関係あるいは、NATOと日米同盟の共通点・相違点という、比較の視野というものをわれわれは持たなければならないし、さらには、その比較を超えて、アメリカとの同盟関係をグローバルな視点で見る知的訓練をずっと重ねていかないと、知的にも閉塞状態になってしまうというような印象をもっています。 Q7. 私は60年安保では高校生全学連、70年安保では全共闘にいました。それこそ世代論ではありませんが、世代の変化を感じました。われわれの上の世代、われわれの世代、特にベイビーブーマー世代の少し上ぐらいの全共闘世代が変われなかったということに、今言われている色々な面での状況の悪いところをやってきてしまった、という原因があると思います。それはなぜだろうか、というのが非常に気になっているのですが、やはり、70年を境にして、日本のリベラルというものと民主勢力というものが、冷戦構造を見られなかった、いうところに決定的なところがあって、それ以上の世代がそこから抜けられないところにいまのひとつの問題があるな、と思います。次の世代、小泉さんも一種の古い世代を抱えているわけですけれどもその次の世代、村田さん達の世代が日本を変えることになるのだろうと非常に期待しています。もう一方では、我々の世代が日米関係にしても戦後の冷戦構造を見られなかったという事はやはり国際社会を見る能力を欠いていたという事であって、それをどうにかしてこの若い世代の人達が創っていって欲しい。それから我々の失敗の痛みも理解して欲しいという感じが致します。 A7. ご指摘に関して二つだけ申したいと思います。世代論に関して言いますと、私は小泉さんの次の次の世代ですがそれでも私達の世代はまだ社会党が声高に日米安保の違憲性を主張し、自衛隊の合憲性について相当声高な非同意勢力というものが国内に存在して、これが国論を別っていたころの記憶を共有しているわけです。ところが私どもの次の世代になりますと、もうそのような記憶は無くて安保について原理的に正統性があるかとか合憲かとか、自衛隊が違憲が合憲かという問題が全く問われなかった人達になるわけです。その事はある種の可能性であると同時に危険性を孕んでいると思います。躊躇や疑いがなく安保や自衛隊を受け入れるということは可能性であると同時に脆さを孕んでいます。原理的に安保の重要性であるとか自衛隊のあり方とかいう事について、根本に立ち返って一旦疑ったことのない通過儀礼を経ていない世代の危うさというものに我々は今後直面しないといけないということなのです。 二番目は、55年体制に示されていた保守と革新というかそういう対立の座標軸はおっしゃるように完全に溶解したのです。従って安保が是か非か自衛隊が是か非かという原理論を我々はしなくて済むようになったのだけれども、次の局面はかつてのリベラルとか左とか言われた人は相当力を失って今度はかつての保守とか現実主義とかあるいは右とか言われた人の中で新たな座標軸が生まれつつあると思います。その時に戦後日本の民主主義とか戦後日本の憲法のもとでの発展というものを基本的に肯定的に受け入れながら、それについて至らない点や国際環境・国内環境の変化に伴って改めなければいけない点は改め、そしてアメリカとの同盟関係という基本的な国際協調の枠の中で日本の安全を図り地域の安全を推進し国際的な責任を果たす、というある種の国際協調主義的な現実主義と、歴史教科書問題に見られるようなあるいは原点から憲法の正統性を否定するような意見、狭量なナショナリズムを根底とした一国的主義的なパワーポリティクスの論理を振りかざす勢力というのは一部で存在します。今度はかつての保守vs.革新ではなくてそういう見方でおそらく言論なり政治なりというもので対立が起こり、おそらく以前と同様かそれ以上にやっかいなものになるだろうという気が致します。 |
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| 文責 井坂 容子氏 (ありがとうございました) |
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