PRANJワークショップ記録
| 「政策産業とそのメカニズム」 アーバン・インスティテュート研究員 上野真城子氏 2002年1月17日 CSIS戦略国際問題研究所 (ワシントンDC) |
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村上(司会):最初に上野さんのご紹介をさせて頂きますと、東京大学工学部の工学博士、1級建築士を取得され、住宅政策をやられております。アーバン・インスティチュートには16年働いておられ、「日本にシンクタンクを」という活動をされており、『A Japanese Think Tank』『政策形成と日本型シンクタンク』『 Think TanksIn A Democratic Society』などを出版されています。もともとPRANJの活動の基礎も上野さんが6年ほど前に始められ、現在に到っております。そのように、ワシントンの先駆者である色々なご経験も含めて、「政策産業とそのメカニズム」ということで、主に日本の課題についてお話をして頂いた後、座談会という形で進めて行きたいと思っています。 上野:ご紹介を頂きありがとうございます。私は16年ワシントンにいたらこういう歳になったのだなと、今日、若い方々の顔を見てびっくりしています(笑)。私が20数年考えてきたことを20分ほどで説明するのはきついですが、是非考えを言わせてもらいたいと思います。 |
上野真城子氏 |
| 私は、この10数年間、「日本にノンプロフィットの独立のシンクタンクを」、「政策研究を」、「政策分析を」、「政策評価を」、ということを言い続けてきました。私の元々の分野は先程ご紹介頂いたように、建築から始まり、住宅政策、都市政策がベースです。この中で私がわかった、日本に必要なことは、政策志向
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政策をベースにして社会を考え、統治を考え、改革を考え、政策を思考する
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ということです。これをどうにかしなければいけない、ということで私は活動を行なってきました。 こうして社会に対してものを言って来ながら、本当に日本の状況は大変だと思います。単純に言って、日本が現在抱えている膨大な課題、経済改革から経済成長、不良債権処理、構造改革から財政赤字、国際競争力、全て解決するのは容易ではありません。これに立ち向かう頭脳が、明瞭に言えば「脳力」や、「知力」や、「治力」が全く日本には欠けてしまっている。「10年の欠落」ということが日本では流行っていますが、私は30年の欠落だと思っています。これをどうにかしていかないと、経済成長も構造改革も国際競争力も出来ないだろうと思います。しかしそんなことを言っても仕方なく、「脳力」、「知力」、「治力」が低下してしまった現在、何かしなければならないのです。それでは何をやるのか、具体的なことが欲しいということが今の状況だと思います。知恵がある限り、知恵を出してやっていこうと思います。 |
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| シンクタンクを取り上げたのは一つにはそのような理由で、ノンプロフィットセクターというメカニズムと、その中で独立的なシンクタンクというものが必用不可欠であるということです。民主的社会をつくっていくための、それを動かしていくための社会制度、組織というものがどうしても必用だろうということを考えてきたのです。今、日本は色々な意味で出遅れてしまったのですが、これからやらなくてはいけないことは、グローバルなマーケット・デモクラシーという世紀を迎えているのだと理解することです。民主主義はイズムではなく、デモクラシーというのは主義ではないのです。デモクラシーとは統治制度の一つの形を言ったわけで、これは過程であり、プロセス、統治の一手段です。しかしこれが日本にはイズムとして伝わってしまった。その翻訳をしてしまったことに、日本の民主主義の間違いがあるのではないか、と思っております。そういう意味で、民主的な統治のシステムにはいろいろなやり方があり、デモクラシーはいまのところよりベターな制度ということです。マーケットデモクラシーはある意味でこうあるべきという桃源郷の姿をもっているわけではなく、特に1990年代以降の状況の中でアメリカンデモクラシーが理解したことは、桃源郷や目標や、社会像というのはなくて、今最良のものをどう選択していって、間違いを修正しながら動かしていけるか、どう変革し、改革できるか、ということです。デモクラシーの重要なところは改革することが出来るシステムを持っていることです。改革できず、停滞してしまうようなシステムであったならば、それは非常に問題が出てくるわけです。 | ![]() |
動くことが出来るシステムを作るときに、最も重要な課題は3つあり、(1)経済、効率、競争、(2)科学技術や情報の進展、そして(3)人権、自由や社会的公正です。こういう大きく言って3つの点から、そのバランスを考えながらシステムを動かしていくということになるのだと思います。このバランスに関して、いったいこの問題は自由とどういう関係になるのか、引き換えになるのか、この金のかけ方がどういう風に自由と価値の問題と関係するのかという疑問が出てきます。このようなバランスと拮抗というものの中で、公共政策というものは決めていかなければならないのです。どこか一つだけで完結した政策の決め方というものは、無いわけです。政策は相互に矛盾を持っています。これにどういう優先性をつけていくのか、ということがそれぞれの国の社会の思考しなければならない問題です。これはいずれにしろ、唯一の絶対回答がありそこに向うべきだということではなく(これが全体主義、独裁、計画国家の誤りでした)、どこに向うのかは、その時代の、その社会の、その時の、その国民の、その人々の選択にあるわけです。経済効率を自分の自由とどう取引するか、自分の私利私欲と社会的公正をどうバランスさせるのか、どのような公正正義があるのか、それらの葛藤と妥協から一つ一つの政策は決まっていくということです。そのディスカッション、いろんな意味で拮抗し葛藤をよぶ議論論争ディスカッションをしていくことがデモクラシーにとって、もっとも重要なことなのです。一つの絶対回答がないのだから、ディスカッションで妥協し合意し多分良いだろうと思われる方向に社会を動かしていく。このことが出来ないと、動きようが無く、これからの社会を生きていくことが出来ないわけです。 大きな話はこれくらいにしておきまして、それでは日本の社会はどうすればよいのか、といいますと、私は公共政策市場、Public Policy Marketというものが必要だと思っております。このPublic Policy Marketをつくっていかないと、このデモクラシーに必要な議論というものは出来ないのだと思っております。公共政策というものの機能領域にはいろいろな分類、考え方があるわけです。国防政策、安全保障、外交政策、援助政策、住宅政策、福祉政策、、、社会の活動領域の中で、政府が介入すべき領域というものが、考え方としていろいろあります。この政策は社会によっていろいろ違ってくるわけですが、これは社会の一つの生産物、「公共財」なわけなのです。政策を生産物として考えるとこの生産物にはいろいろあり、国防とか援助とか政策においても様々な考え方が出てくるわけです。このベースに政策研究というものが成り立ちます。政策研究とは政策分析と評価といったことです。政策の理念があり、データ調査があり、マクロ、ミクロの分析があり、統計処理があり、評価があり、業績評価があり、測定があり、社会科学をベースとしていろいろな政策研究というものがあります。これが政策の情報として提供されることで政策が出来あがります。提供されるということは政策の需要層が存在するわけで、政策研究には顧客がいるわけです。それは誰かといいますと、政治家であり行政の担当官はもちろん、市民もこの情報を持っています。これが純粋学問との違いです。政策選択というものがある民主主義制度において政策研究が出来てくるわけです。顧客の存在という点では特にメディアというものが政策を理解していかなければなりません。学者、研究者も同様です。 それからもう一つ重要なのは、政策の顧客としての産業、企業ということです。今、官政財の関係が言われていますが、公共政策というものは企業産業においても非常に重要なことです。政策情報というものは彼らの需要するところなのです。ただし政策研究がなく、政策が私利私欲の道具として決められることを許してきた、そうしたシステムを作ってしまったことが問題なのです。 |
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| アメリカの場合に企業フィランソロピーといわれる民間企業からNPO/NGOに流れていくお金があります。民間の財団、企業、市民が政策研究をサポートし、公的資金も入り、政策研究という公共財の生産に関わっている政策産業があります。シンクタンクも含めて我々はその公共財をつくっているわけです。私がここ十年以上言いつづけていることは、公共セクターと民間営利セクターと、もう一つ民間非営利独立セクターというものが民主的社会に不可欠で非常に重要な役割を果たしていることです。これは『独立的な思考』をし、政策分析提言をするところ・スペースなのです。公共セクター(政府)だけではなく、政策は民間でも考えていかなくてはいけないということを示しているわけです。フィランソロピーと呼ばれる民間の資金と、公的補助金も取りつつ、ここで様々なシンクタンク、財団が「政策」を考えています。これがアメリカ社会のデモクラシーというものを非常に強いものにしているわけで、これが日本にもつくらなければいけないと思うわけです。 |
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| ・「議会予算局」を日本に この中で日本にとって特に大事なことは二つあります。一つは今の混沌とした状況に対応できる強力な頭脳集団をつくるということです。それに関しては、有用だと思うのは、アメリカの議会予算局(CBO)にあたるものをつくることです。つまり国会所属の独立予算分析局という考え方です。国家財政と予算という国家運営の要に本当の頭脳をつぎ込み、かつ予算を人々のものとする、参加が出来るようなメカニズムをつくっていかなければいけないのです。国会の政策形成能力を強化することが不可欠です。国家予算にいかに頭脳が関わり、いかに最終的に人々が参画できるかということが、民主統治のもっとも重要な部分になるからです。アメリカの場合、予算形成と議会予算局の設置に関しての重要な1974年法などがありますが、予算形成の民主化近代化を目指して国会予算分析機関といったものをつくっていかないと、日本の政策形成の最も核の部分の改革は出来ないと思います。そのため、ひとつ私がキャンペーンを始めたいのは『CBOを日本に作ろう』ということです。 ・「1%の政策評価留保資金制度」を しかしそれだけではだめで、もう一つ大事なことは、あらゆるレベルの政策を見直し、評価し、改革して強化することで、それに膨大な頭脳をかけていかなければならないことです。そのためには1%の政策評価保留資金制度を作ることが必要です。アメリカの政策産業が成長振興して来た背景は、ブルッキングス研究所を始めとしたノンプロフィットの独立した政策研究機関というものの歴史があるわけですが、しかし、もう一つ大きなインパクトを与えたものは何かと言いますと、1966年に始められた事業費の1%政策評価保留ということがあります。ある一つの法律に1%の資金を事業評価に保留し廻すという1行を入れたことがきっかけです。これは非常に大きな意味を持ったといえます。政策をつくっていくときに、その政策がどのような影響をもつのかということを追跡していかない限りは、政策というものは良くならないわけです。常にモニターしながら政策を良くしていく、ということの必要性をこの法律により政府自身が認め、1%の資金というものを政策評価に保留しておくようになったわけです。これが政策産業の強化にとても役立ったわけです。ということは、資金がきちんと付いて政策研究というものを政策担当者が有効性を意味付け、使う気にならない限りは、政策は進歩しません。大学の教授が一人で一生懸命に政策評価をしたところで限界があるわけです。また、政府自身が自分たちの中で、自分が上手くやったかどうかを評価しているようでも、しないよりはましですが、あまり改善にはならないでしょう。日本に出来た政策評価法の問題は、「評価」を外に出さなくてもよく、内部での説明の範囲を出ないものといえます。1%の資金を付けることで評価を経済活動として外に出していくことが重要です。このようなことをやっていかないと、政策評価と政策産業の振興ということは本物にならないだろうと思います。 ![]() |
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| 今の時点で1%を政策評価にということを行なえば、喜ぶのは民間の企業シンクタンクでしょうし、それらに「政策評価」の能力があるかといえばそれは確かに非常に疑問でしょう。しかし、それでもなおかつ1%の政策評価保留資金はつくっていかなければならないのです。それをやっていかないと、経済活動として政策産業というものは出来ないわけです。お金なしには政策評価も出来ません。市場の中でお金が付いてこそきちんとした研究が出来るわけです。これを言うと、日本の学問純粋主義者には怒られるでしょうが、経済活動の中で政策産業を育てなければいけないわけです。これもまたマーケット・デモクラシーです。今述べたようなことを理解してもらうことが非常に重要なわけですが、政治家のレベルでは全然分かってもらえません。国会独立政策評価機関の必要性も分かってもらえません。こういった政策分析と評価にきちんと頭脳を掛け、投資していくこと、きちんとその理念が分かり、そして新しい政策理念を作れること、それが日本にとって非常に重要です。今だからこそ、こういうものを造れと小泉総理には言いたいのですが。これはやろうと思えば比較的簡単にできると思うのです。 Public Policy(公共政策)を学ばれる機会に恵まれた皆さんに言いたいことは、しかしながら政策形成というものは本当に大変な労力と思考が必要です。大まかに10%の一律予算カットというようなことで国家財政のコントロールをしていくようなこ とでは国民は救われません。 ・本当に必要なのは政策論 最後に私が言いたいことは、本当に必用なのは政策論だということです。特に金、資金予算を含めた政策のあり方の議論をしていかないと、ただの『言論』では間に合わないということです。予算が付いた政策があり、これをどうするかということで、初めて有効な議論が出来るだろうと思います。難しいのは今、予算は財務省の役人しか(財務省の役人でも)分からない仕組みになっていることです。どこかから直していかないといけないわけですが、日本で問題なのは、批判をすると拒否反応と言いますか、いっせいに外から、「アメリカから何を言うのか?日本は立派にやってきた、日本には日本のやり方がある」という話になってしまうわけです。しかしそうではなくて日本至上主義は捨ててもらう。多分こういう風にやっていかなければうまくないよという意味で、政策理念と議論の開発を行っていくことです。それはアメリカのものが優れているということではないのです。アメリカの「思考力」の強さ、マーケットデモクラシーの中で生まれてきた知恵の数々を日本に伝えること、そして創造力をもって日本に新しい政策理念をつくることです。こうしたことが日本に無ければなりません。これがこれからここの若い人たちのやるべきことです。 |
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