PRANJワークショップ記録
| 「予算制度改革」 IMF 財政局 遠藤俊英氏 2002年6月20日 CSIS(ワシントンDC) |
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村上:遠藤俊英さんは現在IMFで働いていらっしゃいますが、もともとは財務省か 遠藤:私は当時の大蔵省に入省して今年でちょうど二十年目になります。留学した時 |
遠藤俊英氏 |
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話の構成は、「なぜ予算制度改革なのか」というイントロダクションから始め、「日本の予算制度の特徴」、「世界的な潮流としてどのような予算制度改革が行われているか」、「各国の実践としての具体例」と進み、最後に「新しい予算制度改革の 日本への適用の可能性」についてお話したいと思います。 【なぜ予算制度改革なのか】 4年間のIMF勤務のうち、後半の1年半は財政局に在籍し、発展途上国向けの財政関係の技術援助の仕事をしていました。その過程で、先進国が財政関係の制度や財政法規を発展途上国に輸出しているのを目の当たりにしてきました。ひとつの例として、1年前にクックアイランドで16カ国の南太平洋諸島(島国といってもオーストラリアやニュージーランドも入っていましたけども)の大蔵大臣が集まった会議にIMF財政局代表として出席したときのことをお話します。会議では、各国の予算制度のあり方について大議論がありました。非常に進んだ予算システムを持っているニュージーランドが、周辺の島国に自国の制度をどんどん輸出するのです。明らかに島国の大蔵省の消化能力を超えているのですが、そうした技術援助にはお金がつく、ということで政治的に拒めない、という状況でした。私はその時のプレゼンテーションで「完全にキャパシティーを超える制度の導入は有害無益。もっと地道に伝統的な予算制度から始めたらどうだ。」と話しました。真剣に聞いてくれたとは思いますが、結果はどうなるかわかりません。ただ私はこの会議に参加して強く感じたのは、発展途上国にしても先進国にしても、自分たちの財政機能を効率的に発揮し、その資源配分をうまく行うためには、『予算制度そのものを変えていかなければいけない』という意識が強く、そのためにはどういう仕組みにしていかなければいけないか、ということについてかなり積極的に議論しているな、ということでした。 最後のミッションとして二ヶ月前に南アフリカに行きました。このミッションで非常に印象的だったことは、今日の結論を先取りするようですが、予算制度においてはtransparency(透明性)やaccountability(説明責任)が非常に重要だ、ということです。皆さんのお手元に回付しているのは、南アフリカの予算書に添付して国会に提出される予算の説明書、Budget Reviewです。この厚いレポート(厚さ7センチ程度)は2001年の分で、今年(2002年)の説明書は今年の春にできていて、実はこれより もっと厚いのです。毎年どんどん厚くなって内容も非常に充実してきています。かたや、もう一冊回付している薄い書類(厚さ1センチ以下)が日本の予算書に添付されて国会に提出される説明書です。日本の説明書は、要は、その年に提出した予算について「これだけのお金がつきました。これはOOの経費に使われます。」ということだけです。これを読んでも恐らく、日本の財政の姿がどうなっているか、マクロ経済にどういうインパクトを与えるか、などについてはわかりません。私が入省して以 来、この説明書のスタイルは全く変わっていないのです。 南アフリカは、1999年にtransparency(透明性)をもっと増さなければいけない、という法律ができて、それを受けて予算の説明書を年々充実させています。もちろん日本と同じような経費別の説明はありますが、それに加えEconomic policy(経済政 策)やOutlook(展望)はどうか、Fiscal policy(金融政策)やBudget framework(予算の枠組み)はどうか、歳入サイドではどんな問題があるのか、今年のtax proposal(税の提案)はどうか、などあらゆる方面についての分析がなされています。しかも 非常にわかりやすく書いてあって、巻末には詳細な時系列の計数資料がついています。これ1冊を読むだけでその国の財政の様子がよくわかります。こうしたtransparency(透明性)やaccountability(説明責任)の具体的実践は、南アフリカに限ったことではなく、世界の流れになっています。それ対して日本は旧態依然としているな、というのが私の印象でした。以上が、私が予算制度改革に関心を持った一つの理由です。 二つ目の理由は、日本では予算をつくるために膨大なヒトと時間を投入していることです。私は入省してまず主計局という予算を作成する部局に入りました。三十代の働き盛りの時には五年間、主税局という予算の歳入サイドを統括する部局におりました。そこで実際に予算の編成に携わったのですが、予算関連部局で働く職員は私生活を犠牲にして過酷な予算編成作業を行っています。 |
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ほかの国も予算をつくるのにはもちろん時間をかけるでしょうが、ほかの国と比べても日本の予算編成にかけるエネルギーは図抜けている感じがします。予算を要求する側も、それを査定する財務省側も、徹夜の連続で疲労困憊の極みです。12月末に政府案を決定するのですが、「疲れきったからもうやめよう」という所まで徹底し、そこでしゃんしゃんとなる。結局我慢比べのようなもので、査定側と予算要求側の議論はたこつぼ的になり、国全体として適正な資源配分を追及しようという視点は失われがちになります。予算をつくるのにエネルギーをあまりにも使いすぎて、予算がどのように使われるのか、予算のパフォーマンスについてまで関心が及ばない。これが最近よく言われる「もう少し政策の効果を評価したらどうか」という指摘につながるのです。本当にこうしたいわば力仕事の予算編成のやり方が未来永劫存続可能なのか、財務省で働いている歯車の一つとして、疑問を持ちました。
三つ目の理由ですが、予算制度改革は、小泉総理の下で行われている構造改革の議論の中で取り上げられているのですがあまり注目されていない、しかし非常に重要な問題だ、ということです。今日お配りした資料「構造改革と経済財政の中期展望」の中で、「新しい行政手法」の項目にまさに予算制度改革の話が書かれているのです。潜在的には構造改革のイッシューの一つにはなっているのだが、あまり注目されていない。しかし私は予算制度の話は非常に重要な話だと思うのです。予算というのは所得の再分配、資源の分配につながるものですし、政治の世界そのものです。予算制度を変えるというのは政治改革につながります。霞ヶ関においては、法律と予算は二大仕事で、予算のルールが変わるというのは、まさに行政の組織が変わり、行政官の行動パターンが変わり、行政官のマインドが変わる話なのです。その影響力たるや大変なもので、予算制度そのものに真っ向から取り組もうというのは、構造改革のイッシューとしてプライオリティーを置くに値するものだと思います。 |
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| 【日本の予算制度の特徴】 それでは、日本の予算制度とはどのような制度か。いくつかの特徴があります。 1)インプット重視の増分予算 2)単年度主義の予算 |
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3)政党と行政のダブルトラック―与党の事前審査制 ほかの国では行政内部の行為として政府案が作られ、その過程においてはどのような政府案が出てくるか一切わからないのですが、日本は外に出てしまう。日本は、要求側の省庁と大蔵省のやりとりだけでなく、要求側の省庁は与党の部会でいろいろ説明する必要があります。部会の方からも大蔵省にフィードバックがあります。結局二重のトラックで走っているものですから、その過程で予算が今どのようになっているかが外に出てしまう。それはtransparencyの観点からいいのではないか、という見方もありますが、単年度主義で半年間かけて予算をつくるのに加えて、政治の二つ目のトラックもうまく調整していかなければならないので、予算に関わる人にとって非常に荷が重くなっているのが日本の特徴です。 4)国会審議(予算委員会)のルーティン化 3)の事項の裏返しですが、政府案ができてしまえば、少なくとも行政内部と議会の多数派である与党との間では予算案について合意ができている、ということで国会審議がどうしても形式化してしまいます。日本の予算委員会では、例えばスキャンダルが出てくればそのスキャンダルについて時間をかけて議論します。議論の重要性を否定するものではありませんが、ある意味では、スキャンダルを議論する余裕があるから行われるともいえるのではないでしょうか。 5)本予算と補正予算の使い分け:ブレーキとアクセル 日本の特にここ10年の特徴ですが、補正予算に非常に依存した予算編成になっています。1990年度から2000年度にかけて補正予算は20回組まれています。通常では、「今年は経済状況がOOだから財政は引き締める」、又は「拡張する」というのが予算を通してわかるのです。ところが日本の場合はわからない。なぜなら、本予算というブレーキと、補正予算というアクセルを同時に踏んでいるからです。本予算は常に引き締め気味です。ところが本予算ができた途端に「補正」と言い出し、補正予算はゆるめる傾向です。そうすると「この国は財政スタンスとして一体何をしようとしているのか」というのが外から見てよくわからないのです。IMFもこれを指摘しています。「今年は景気が悪いので緩めの予算を組まなければならない」というのなら本予算から緩めの傾向にすればいいではないか、なぜ本予算を引き締めて、時期をずらして補正予算を作るのか。それは、最初から緩めると要求が拡大し年末までに処理できないからではないかと思います。まかりなりにも本予算を財政年度に間にあわせるには、本予算は締めておかなければならない。他方、補正予算は経済対策を実施するための一つの段取りというかプロセスです。経済対策の額は往々にして政治決定によります。それを具体化する予算は、補正予算として「どこにつけるか」をまとまった形で議論したい。トータルに財政を議論するというよりも、行政が効率的に運営されるような形で予算を作っていきたいという思惑が強く働くのではないか、というのが私の感触です。 6)General Governmentレベルの議論の欠如 多少技術的になりますが、日本で「予算」というと常に「一般会計予算」を指します。しかし国の予算を見てみると、一般会計予算のほかに特別会計予算もあるわけです。それからGovernmentという場合、Central Governmentもあれば、Local Governmentを含んだGeneral Governmentもあるわけです。日本の一般会計予算が80兆円だとするとGeneral Governmentの予算規模は180兆円に達するわけです。だから80兆円の一般会計だけを見ていても日本の財政の姿というのは実はわからないのです。しかし日本の予算というと必ず一般会計の予算の議論だけに終始する。IMFにおいてある国の財政を語るとき、必ずGeneral Governmentはどうか、または少なくとも特別会計を合わせたCentral Governmentはどうか、それが緩めなのかきつめなのか、という議論をします。そこが一般会計予算しか議論しない日本の議論と食い違うわけです。 |
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| つづきはこちら 文責 中村美千代氏 (ありがとうございました) |
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