PRANJワークショップ記録 

    日米安保の課題・アメリカ単独主義、イラク、北朝鮮
  渡部恒雄氏 (戦略問題問題研究所 日本部 主任研究員)

 2002年10月21日 CSIS戦略国際問題研究所 (ワシントンDC)
 

村上:今回は戦略国際問題研究所の渡部氏に『「同時多発テロ」の日本への挑戦:ワシントン戦略シンクタンクからの警告』出版記念講演ということで、「日米安保の課題・アメリカ単独主義、イラク、北朝鮮」というお話を伺った後座談会形式で進めたいと思います。まず経歴をご紹介させて頂きますと、東北大学歯学部卒業後、歯科医師となられますが、社会科学への情熱を捨てきれず、米国に留学、ニューヨークのニュースクール・フォー・ソーシャルリサーチで政治学修士を取得されました。その後、平成8年より、CSIS戦略国際問題研究所ジャパンチェアー客員研究員となり、平成12年より現在の日本部主任研究員として、日本の政党政治、外交政策、日米関係の全般についての分析・研究に携わっておられます。平成9年11月「シビルミリタリー関係の向上で空気支配を防げ」で読売論壇新人賞佳作入選されました。こちらの論文は読売新聞刊の「安全保障のビッグバン」という本に収録されておりますので、機会があれば是非ご一読下さい。それではどうぞよろしくお願いします。
 
渡部:まずは本の出版の経緯をお話してから、本の内容を簡単に紹介しまして、
本題の「日米安保の課題・アメリカ単独主義、イラク、北朝鮮」に入っていきたいと思います。

本の出版の経緯  
福島県向け「財界ふくしま」という雑誌に特に9月11日以降、集中的に寄稿してきたのが、ある程度たまってきたので、まとめて本にということで、出版しました。ところが「財界ふくしま」は福島県内にしか販売網を持っていないという経緯があり、現在は福島県の書店でしか、店頭に並んでいません。PRANJの読者で購入希望の方がいれば、米国在住の方はUS$22プラス送料で販売いたしますので、PRANJあてに、本の送付先とご連絡先をご連絡下さい。日本在住の方は、八重洲ブックセンターのウエブサイトで購入できますので、http://www.yaesu-book.co.jp/で、本書を検索して、注文してください。ただし、オンラインでしか、購入できません。店頭では買えませんので、ご注意下さい。

本の内容:「同時多発テロ」の日本への挑戦:ワシントン戦略シンクタンクからの警告」
時期的には、2000年の大統領選挙からブッシュ政権誕生、テロ、そして現在のイラク攻撃をめぐる議論まで、それぞれの時点での私の考えを、ほぼ時系列で収録しています。特に、テロの頃の自分の書いたものを目を通すと、やはり、かなりの緊張感と危機感で書いているのがわかります。

その時期、作家の村上龍氏が編集しているメールマガジン:ジャパンメイルメディアに、ワシントンの政策研究者で作っているネットワークPRANJ海外政策ネットワークを通じて、ほぼ毎週書いていたのですが、この頃は、結構仕事も忙しく、毎週一回、土曜日の深夜に集中して書いた記憶があります。この集中度もあり、本の第11章から第20章までは章立てとしては別になっておりますが、よくまとまっているように思います。

帯文には三井物産戦略研究所の寺島実郎さんのありがたい推薦の言葉をもらいました。さらにありがたいことには、テロ以降これまで2回ほど、アメリカがどう動くのか、アメリカの戦略、ブッシュ政権の政策について、日本テレビのCSのチャンネルで、寺島さんが日本から、私がアメリカからという形で、生番組で討論する機会をもらったことです。それによって日本の見方もわかりましたし、また自分の定点観測をしやすかったと思います。

ちなみに、帯文の中のほめ言葉の中で、寺島さんに私は「ためにする情報」や「うがった裏読み」をしない、と褒めてもらったことです。これは自分でもこころがけていることです。これは、特にテロ直後に、日本で「アメリカは戦争を欲していた」というようなブッシュのテロ陰謀説のような本が売れていることもあり、それに対する反発も大きく、できるだけアメリカの政策コミュニティにいる日本人から客観的な状況を伝えたいという思いで書いたため、そのあたりを評価していただいてありがたいと思っています。

出版の話がきて、過去の論文をまとめるという作業をしている時に、目標となった本は、寺島さんの「ワシントン戦略読本」であったのは間違いありません。寺島さんは、丁度、クリントン大統領が登場する1992年の大統領選挙を丹念に分析していますが、いま読み返しても、目をつけるべきポイントを学ばせてもらいました。私の本の中にも、ブッシュが選ばれる大統領選挙の分析があり、なぜ今頃、ブッシュの大統領選挙なのかと思われる方もおられるかもしれませんが、大統領選挙の過程からどういう風に政権が出てきたかを見返してみると今の流れが見えてくる、これは私が寺島さんから学ばせていただいたことの一つです。

本のテーマ

特に一貫したテーマで書いていたとは自分でも思っていなかったのですが、あとで編集作業をしていて、いくつかの柱があることに自分で気がつきました。それはこのPRANJで、ずっと皆さんがテーマにして議論していることです。ワシントンのシンクタンクにいると、日本の政策形成のためのインフラの不備があまりにも目につきます。これは、安保、経済ともにです。

そして、そのように政策形成のインフラのなさというものは、本当の危機の時に非常に大きな試練となって日本に降りかかってくるのだと実感しました。

特にテロ直後の日本の対応の鈍さ−遅さと感覚のずれ、それをワシントンから見ている日本人の焦りというものを、ここにいらっしゃる皆さんの中でも、感じておられた方も多いと思います。また、現在にいたる日本の経済対策についても、同じように苛立ちを感じて見ておられる方も多いと思います。

日本とアメリカで大きな違いがあるとすれば、アメリカにはここワシントンのような政治の街に政策形成コミュニティーが形成されて、そこに様々な人材とアイディアが、集積、蓄積、形成されて、それが実際に回転ドアーといわれるような人事の交流やシンクタンクの活動などを通して、現実の政策に反映していることなんですね。ですから、この本の中でひとつ意識して取り上げたことは、私の在籍しているCSISというこのシンクタンクが実際、政府の政策形成にどのような役割を演じているのかなどを、具体的な例を挙げて書くということです。ちょうど、それが大統領選挙で民主党から共和党に変わるときでしたから、本当に見えやすかったわけです。つまり、CSISの誰が今度ブッシュ政権のどこに入ったのか、またクリントン政権の誰がCSISのどこに入ったのか、というような回転ドアでの人材の動きに即して、数章割いて書いております。特に2000年の選挙前後は非常に見えやすく、おもしろい例だったと私は思っております。

日本の基本的問題の一つは、なぜ日本に政策コミュニティーがないのか、ということにも関わってくるのですが、やはり政策を練る機能が、競争にさらされていないから、どうしても弱くなるということです。日本もふりかえってみて、例えば1960年代あるいは1970年代には、政策形成機能が全くなかったかというとそうではなくて、おそらく、今ではむしろ悪い意味で使われていますけれど、政府の官僚と自民党と財界のいわゆる「鉄の三角形」のなかに、脈々と生きて、それなりの戦略をたてて、それ
が実現されてきたのだと思います。そこで、今の時点ではなぜ有効に機能していないのかというと、その中での競争がどうしても弱くなってしまった、特に私が見ているのは政治の中での競争が弱くなってしまったということです。

それは、1955年体制という日本の政治構造があり、自民党がずっと万年的に政策を立案・遂行する立場にいて、野党が万年野党のまま、そうなってくるとどうしても緊張感が欠如してきます。それでも、1970年代くらいまでは、自民党の中にも、いつ野党が政権をとるのではないかという危機感が常にあって、これは単純に今の視点だけで歴史を見ると、1960年代1970年代は自民党安泰のように思われますけれど、本当のところは、相当、野党の追い上げが激しく、特に国内では地方自治体などを見れば、革新知事が多数登場したり、世界的にも、実は冷戦構造の中での、共産主義国ブロックの存在感が、経済的にもイデオロギー的にも強くなった時期もあり、要するに緊張感があったわけです。それから、もう一つは自民党内の派閥内の競争というものもありまして、派閥抗争という非常に問題のある部分も多かったのですが、ただ、それと同時に政治学者の中でも、自民党の派閥の交代により、リーダーが代わって、政策も変わるということを疑似政権交代というような理屈で説明する人がいるくらい、政策の競争も派閥ごとにありましたし、政策の転換も派閥の競争によって、総理大臣が変わると同じ自民党でも、政策が相当変わったものです。

これがどこで、そのあたりのダイナミズムをなくしていったのかといえば、ひとつは1970年代の前半に田中角栄が力を持ちながら早くに総理を退陣して、その後まだ何とか総理に返り咲こうとし、1980年代に徹底的に田中派支配を強めて、その中でどちらかといえば、派閥の競争というよりは、田中派の多数を持っているところ、後に竹下派、今の橋本派になるわけですけれども、そういうところに、コントロールされるようになってから、派閥間のダイナミズムというものもなくなってきました。そして決
定打というのは、実は皮肉にも1993年の細川内閣、これは1955年以降初めての非自民党の内閣なんですけれども、この政治改革によって小選挙区制を導入したせいで、どちらかというと自民党の派閥間の競争というのが、選挙区に反映できなくなったわけです。もちろん、小選挙区の中で自民党の候補者をひとつ選ぶということに関しては、派閥間の競争もあるのですけれども、中選挙区の時のように、派閥別に別々の政策を言って、選挙を闘うということもできませんし、どうしても自民党の政策はひとつにまとまらざるを得ない。それでいて、それと同時に野党側がいまひとつ強さを発揮できなくて、野党側が、例えば、自民党側に政策の再考を促すような機会もあまりなかったわけですよね。

私は長期的には、日本の政治において政権交代は必然となっていくでしょうし、そこに政策の競争が反映していくものだとは思いますが、現在の停滞というのは、その過渡期ゆえの問題だと思います。あと、もうひとつは今の小泉政権なのですけれども、そういう意味では小泉政権というのはおもしろくて、田中、竹下、橋本に至る最大派閥のコントロールというものに、どちらかというと反旗を翻して、それから、割と国民の意思を、ポピュリスト的にといいますか、国民の人気をベースに、自民党の影響を割と外しながら、官邸主導の政策を進めている。これはすごくおもしろいと思うんですね。ただ、非常におもしろいとは思うのですが、足りない部分というのは、実際に政策を進めるときの、大きな戦略的枠組みをつくれるような組織的なサポート体制と、社会の中で広く議論されて蓄積されるべき政策における合意事項だと思うのですね。ですから、今は割とおもしろい動きではありますけれども、これがこのまま日本の政策ダイナミズムを作り出す方向とは思えないというところが問題なのだと思います。

 

本のまとめ(日本が克服しなければならない重要課題)
本のまとめで最後に書いたものですが、「今後先行きの見えない世界情勢であるからこそ、日本人が成し遂げたい目標を設定し戦略的に政策を策定していく。それを可能にするために、日本にシンクタンク機能を含む活発な「政策コミュニティー」を作っていく、これが今後の日本の最大の課題です。目標をわかりやすく言い換えると、「自分達の望むものを知り、そのための努力を惜しまない国と社会」ということになります。

以下は本のまとめで書いたものです。

日本がやりたいことが何なのかを明らかにして、自ら考え判断し、自らの政策を決定するということです。日本は今後、国際社会の中で何をしたいのか、そのためには、どのような手段を使うのか。そして、この件に関して幅広い議論を行い、議論を通して国民の信頼を得たリーダーシップが育たない限り、今後の日本の政策は、常にその場しのぎに終わるでしょう。よく「日本の政策には戦略性がない」と批判されますが、目標が明確でなければ戦略の立てようがありません。戦後、高度成長と平和を成し遂げ、しかし将来に不安を抱えた今、日本は何を目指して努力するのでしょうか。

日本は相当の努力をして合意を作り上げなければなりません。そして国家の目標を設定し、具体的な政策をたてて、広く議論を起こしていくには、政府や国会などの政策当事者とは別に、民間独立シンクタンクや大学研究機関などの歴史的あるいは地政学的な大所に立ち政策を考える「傍目八目」の機能がどうしても必要になってきます。

そして、このようなシンクタンク機能と政府と国会の期間との間で、人材とアイディアと情報が自在に行き来するいわゆる「政策コミュニティー」というものができれば、アイディア競争の中から良質な政策が生まれ、社会に広く共有されるでしょう。
 

 
ブッシュ政権の国家戦略
それでは、ここから国際関係の話に移っていきますが、日本に戦略をつくる機能が弱いという話をしましたが、アメリカはどうなのでしょうか。アメリカは、良くも悪くも国家戦略というものをオープンに議論しなくてはならないというシステムができているため、過程が良く見え、議論もしやすいことは間違いありません。

例えば、ブッシュ米大統領は9 月20日、「米国国家安全保障戦略」(The National Security Strategy of the United States of America,http://www.whitehouse.gov/nsc/nss.html 以下「戦略文書」と称します) を発表しましたが、これは法律によってホワイトハウスは議会に対して、自分の政府がどういう国家安全保障戦略をとるのかということを明らかにして報告しなければならないと義務づけられており、毎年基本的にはホワイトハウスから出されています。去年はちょうど提出する時期の秋に同時多発テロが発生し、混乱で提出されなかったため、今年の9月にブッシュ政権として初めての戦略文書が出されました。こういうことをやっているということは、どうしてもその過程の中でディスカッションもありますし、日本と違って、どういうことがやりたいかということが公式に見えますから、これがたたき台になって、非常に議論がしやすいわけです。ところで、この戦略文書は非常に議論を呼んでおりまして、問題の文書なのです。その話をアメリカのいわゆる一国主義という内容で話してみようとかと思います。
                        
戦略文書内の新しい先制攻撃の概念

戦略文書は全般的には、割とおもしろいと言いますか、良い部分もたくさんあります。つまり、テロ以降の国際環境の変化、テロ以降もそうですけれども、冷戦終了後の世界の中でどういうふうにアメリカがふるまって、世界と国際間の安定を図っていけばいいかという問題に取り組んでいることは間違いありません。ですから、そういう試みや良し、なんですけれども、ビジネス・ウィークの論説委員が論説で、「ブッシュは半分正しい」と書いているとおりだと思います。要するに、その試みたるや良し、非常に分析も鋭いところがある、ところが、問題大ありの部分が、第5章の大量破壊兵器の脅威への対応に関してです。これはもうすでに非常に話題になっていると思いますが、これまで、「明白に差し迫った危機が自国に迫っているときにのみ使用される」という自衛としての先制攻撃の概念を、ならず者国家が大量破壊兵器を使用する前に先制攻撃によりその意図をくじく、という内容を含んでいるというところです。これはまさに、今回のアメリカのイラク攻撃の根拠でもあるのですが、戦略文書はまだあまり日本語になっていないと思います。(時事通信発行、世界週報2002年12月3日号と10日号に翻訳が掲載されました)文章を読むことでロジックの流れがつかみやすくなると思うので、ここで拙訳を読んでみます。以下、戦略文書の第5章の抜粋です。

数世紀にわたって、国際法は、国家は自国への差し迫った脅威に対して正当な防衛を行っていれば、国家は自国への攻撃で苦しむことはないとしていた。多くの国際法学者は、指し迫った脅威への攻撃への正統性の条件として、攻撃準備をしている陸海空軍の明白な行動を挙げてきた。

しかし、今日の敵の目的と能力に関しては、差し迫った脅威の概念を変える必要がある。ならず者国家とテロリストは我々に対し、これまでの通常兵器による攻撃を考えてはいない。彼らは、そのような攻撃が成功しないことを知っている。そのかわりに彼らは、テロ行為と、おそらく、大量破壊兵器の使用に傾いている。それらの大量破壊兵器は、容易に秘匿され、秘密裏に運搬され、警告なしに使用されるものである。
(中略)
合衆国は長らく、国家安全保障上、十分に逼迫した脅威に対してのみ、先制攻撃の選択肢を考慮してきた。しかし脅威が甚大であるほど、行動の遅れによるリスクは高まり、たとえ敵の攻撃のタイミングや場所に関して不確定な要素があったとしても、より先行的な防衛の必要性が求められている。敵の攻撃に先んずる、あるいは抑止するために、合衆国は、必要であれば先制攻撃を行う。

先制攻撃と一国主義へのアメリカ国内からの批判

以上、述べたところが、一番問題になっているところです。どこが問題かといいますと、これはアメリカ国内からも国外からも批判があるのですが、次の3点に集約されるかと思います。

(1)1648年のウェストファリア条約以来の国家主権の不可侵性の原則を変えることになるが、その基準が客観的ではないため、国際間のルールとして定着するには問題がある。すなわち、国家主権というのは英語で言えば、Sovereigntyであり、その意味は「最高の」ということであり、それ以上のものはないということです。これをお互いに守るということが、絶対的な国家間のルールであり、それを変えようとしているのだが、変える基準が客観的でないところに問題がある。Sovereigntyのルールが変わりつつあるのは間違いない。今回のイラク攻撃だけではなく、例えばNATOのコソボ空爆で国家主権の不可侵性は大分崩れてきています。コソボの空爆は人道的な介入を理由としてあげているが、これはユーゴスラビアが他の国を攻撃したわけではなく、内政に干渉しているわけで、ここですでに国家主権の不可侵性は崩れており、当時も問題となっていました。ただし、あの時は、NATOの枠組みがあったので、衝撃度は少なかった。ところが今度は、どうもアメリカというのは、NATOあるいは国連の枠組みを使わないで、必要だったら自分ひとりでやるといっている。そうするとやはり、自分勝手なルールができてしまうわけで、これは客観的ではない。他から悪用される可能性もあるし、非常に国家間のシステムが不安定化するおそれがあるということなのです。これは2番目の問題とも重なっています。

(2)アメリカ自身を例外扱いして、その圧倒的な軍事力と民主主義の価値観を、その行動の正統性の根拠としているため、多様な価値観を持つ世界において、合意を得難い上に、反発も呼びやすい。

(3)圧倒的な軍事力を持つアメリカが、既存の国際間ルールを一方的に破ることで、これまでの築き上げてきた国際間ルールや国際機関を、弱体化させることになる。

先に述べたビジネスウィークの論説委員は、今回のブッシュの戦略文書(ブッシュドクトリン)の中で問題なのは、例えば、大量破壊兵器をもつテロリストと国家に制限なしに先制攻撃ができると言っているわりには、具体的にどのようなときに戦争をするとは示していない。つまり、戦争をするときというのは、Rule of Engagement−交戦規定−、どのような基準で武力を行使するかということを事前に決めておくことが大事なのですが、こういうことを全く具体的に言及していません。だから、彼に言わせれば、これはもう、完全にアメリカが勝手に決めるという話です。そうなるとどうなるかというと、これはもう、ひとつはいろんな飛び火があるということです。どのような飛び火があるかというと、まずは、もうすでにやっていることなのですけれども、ロシアは、チェチェンへの武力行使をテロへの先制攻撃と位置づけています。中国も、新疆ウィグル自治区のイスラム分離運動弾圧の理由に先制攻撃の理屈を使う可能性だってあります。インドもカシミール・パキスタンに、あるいはパキスタンもインドに対して、その理屈を使う可能性はあります。イスラエルもパレスチナに対してその理屈を使う動機は十分あります。つまり、国際的な合意がないまま、アメリカの先制攻撃戦略ができてしまうと、アメリカがよほど力で押さえつけられるのならともかく、そうではないときは、混乱の要因になるということです。

ブッシュドクトリンの行方と日本の対応

ただし、アメリカの戦略の批判も必要ですが、それと同時に戦略文書の半分正しいところ、つまりグローバルなテロリストの活動や、ならず者国家が核兵器を開発し、それが拡散していくという問題に対して、指をくわえて見ていて良いのかというと、そうではないでしょう。これに対する取り組みは十分必要なわけです。だから、ひょっとして、運が良ければアメリカが一方的にふるまって(アメリカの圧倒的な軍事力と経済力が、他者を圧倒することで)、それが新しい国際間ルールとして定着していくという可能性も、全くないわけではありません。ただ、その辺がどう転ぶのかということは非常に分かりませんし、そういう大博打を世界で打って良いのかという話になりますね。

それから、現在のアメリカの軍事力の優位性というのは、確かに圧倒的なのですけれども、ただし、それを支える経済力と技術は、相互依存が深化している現在の国際経済から得られる富が支えているものですから、決してアメリカの一国で自己完結しているものではないという問題があります。

ただ、この問題をどのように見ていくか、ということについては、おそらく、今のアメリカが、昨年の9月11日の強い影響下にあるという事情を理解しなくてはいけないと思います。9月11日の問題というのは何かといえば、アメリカは冷戦に勝って、しかも日本との経済戦争にも勝って、もう確実な勝利の中で、エンジョイしようとしていた矢先に、アメリカの近代の歴史上類を見ない、本土で市民が大量に予告なく殺戮されたわけです。これはアメリカの現代の歴史においては、例がないわけです。真珠湾攻撃もショックでしたけれども、あれは殺されたのは主として戦闘員ですし、アメリカ本土ではなく、ハワイでした。しかもあのころのアメリカの優位性と今の優位性はぜんぜん違います。ですから、そういうアメリカが特別な状況にあるからこそ、逆に日本側の戦略としてみると、アメリカの今のブッシュ政権がやっているこの一国主義的な要素が、長期的にアメリカのコンセンサスとして定着していくかどうかというのを、即断するのは早いと思います。

例えば、私がいままで話した批判というのは、別に私からの批判ではなくて、アメリカ国内での批判です。戦略文書に関してはアメリカ国内での方がアメリカの戦略について、よっぽど冷静に批判しているわけです。
 


 
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