| *この記事は朝日新聞社の了解を得て転載しています。無断で 転載、送信するなど朝日新聞社及びPRANJの権利を侵害する 一切の行為を禁止します。 PRANJ(政策海外ネットワーク)リポート ワシントンのシンクタンク業界でも日本への関心が急低下している。いつまでも閉鎖的な日本に愛想をつかし、中国へ関心や資金が移行している。投資する側としては、いつまでも非関税障壁に真剣に取り組まず特定産業を聖域視する日本に比べ、積極的に参入障壁撤廃や市場開放への態度を示す中国の方が市場も大きく、リスクはあるが魅力的なのである。 投資ファンドも本来ならば政治変動リスクの低い日本に投資したいのだが、リップルウッド・ホールディングスが投資した新生銀行が数々の試練やバッシングをくぐらなければならなかった状況を見て手をこまねいている。昨今、軒並み欧米金融機関が日本での事業縮小や撤退を決断しているのも、日本はいまだに直接投資しにくい市場であるということを示しているのではないだろうか。「もっと透明性が確保され、ルールが明確になれば日本も魅力的な市場なのだけど、対応があまりに遅いので皆中国に目が移る」と投資ファンドのアナリストは言う。「日本にもっと直接投資を」という掛け声が日本からは聞こえてくるが、中国のビザなし渡航といった大胆な方針と比べると単発的で消極的な感は否めない。 また、日本は、アジアからの輸入もあまり受け入れないと批判を浴び、農産物への高関税や不透明なビジネス慣行、業界団体の圧力など目に見えない障壁もいまだ多いとされ、長期的な視点からの改革や新しい取り組みへの意欲が見られないと理解されても無理はない。最近の日本―メキシコ自由貿易協定(FTA)交渉が決裂したのも、メキシコ側の政治的基盤の弱さはあるにしても、日本側も農業や豚肉といった国内政治問題を解決せずに交渉を積極的に進められなかったことが問題なのだ。つまり、国内農業をどうするかといった基本的な戦略のコンセンサスがない状況での対処は、なし崩し的に後手に回る傾向があり、それが「やる気がない」と解釈されてしまう。実際のところ、「やればできるかもしれないのに、やらない」態度が関心の低下の一因である。 資金の切れ目が縁の切れ目? シンクタンクのフォーラムは、何の脈絡もなく開催されているのではない。日本関連のプログラムを定期的に主催しているのは、ウッドロー・ウィルソン・センター(米政府の予算)、戦略国際問題研究所(CSIS、日本企業の寄付)、笹川財団(独自の基金運営)など、数えるほどだが、こういったレクチャーが定期的に開催されるということは、スタッフを抱えられる十分で長期的な資金提供があるからこそなのだ。そのため私たちのような規模の小さいシンクタンクでは、昼食時のランチセミナー・シリーズを開催するためのスポンサー探しから始まる。スポンサー名がセミナーの冠につくのだが、企画、パネリストの人選及び参加交渉、タイムリーなトピックの選定、聴衆動員はシンクタンクが請け負い、それにかかるコスト・人件費はスポンサーが持つのである。セミナーの評判がよく人がたくさん押しかければスポンサーも満足するので、関心の高いトピックを選び、ベストメンバーのパネリストをそろえ、タイムリーな議論を提供できるかが、シンクタンクの力の見せ所となる。 ほとんどがNPO(非営利組織)であるシンクタンクは、大型の基金があるところは別として、常時資金探しに追われている。NPOは、連邦税制で規定される公的目的を掲げる教育機関の一種として税金優遇措置を得るかわりに、利益を団体の外へ配当してはいけないなど企業形態とは一線を画す。特定の顧客(クライアント)を相手に報酬を得るのではなく、不特定多数(公共)を相手に調査・研究を行う。また調査・研究結果に色がつかないよう、特定の企業や個人のみから寄付金をもらわず、広く集める努力をする。通常、研究プロジェクトを行うにあたり、財団などからグラント(資金)を確保するために、企画案を書いて応募する。プロジェクトの目的、人員、成果物およびその研究が与える影響、発表形式などをまとめて財団へ提出し、財団が掲げる独自の目的やモットーに合致するものにグラントが提供されるしくみになっている。グラントがおりなければ、そのプロジェクト案はボツだ。財団による進捗状況のチェックも厳しく、提出した書類通りに研究が進んでいないと、資金提供は一年で打ち切られる。 そういったグラントも日本関係の研究におりるのが格段に減っている。日本企業がシンクタンクへ寄付金を出しているのは、長期的な視点で日本にとって良いからという考えよりは企業自身が得る情報のためという理由が大きい。そうなると、業績が悪くなれば真っ先にカットされる予算であるため、継続的な資金を期待するのは難しい。「日米」と名の付いた財団は数えるほどしかなく、規模も大きくない。通商摩擦が花盛りだった一九八〇年代から九〇年代はじめには日本関連プロジェクトにたくさんのグラントを出した財団も、今は中国関連研究には出すが日本関係にはほとんど出さない。その結果、日本関連の調査・研究を行う部門がシンクタンクから消え、職がないため人材も育たない。外務省の予算カットで、アメリカ人研究者を抱えていた日本経済研究所(JEI)を二〇〇〇年に閉鎖したことは、皮肉にも日本が自らワシントンでの日本経済研究の関心低下を加速させることになった。 日本が失っていくもの そのため、ワシントン・コミュニティーにおいて日本研究者の若返りがあまり期待できない。「外交問題評議会のタスクフォースに集められた人材を見れば、八〇年代に名を連ねた古い人ばかりで、新しい日本を知る人は私以外皆無だった」という、タスクフォースに参加した元政府高官の発言が示すように、現在の日本を知るアメリカ人若手研究者がワシントンのシンクタンクにはいないのである。つまり、ある程度キャリアが確立した日本専門家か、政府経験者しかワシントンでは職にありつけない。 ただ、マンスフィールド・フェローという米政府交換留学制度を用いて、日本政府の各省庁に研修生として派遣される米国政府の人材は、数は少ないが着実に確保されている知日派かもしれない。彼らの多くは引き続き米国政府で働いており、多くは日本関連部署に配置されている。しかしそういった若い人材も、民間やシンクタンクには受け皿がない。その上、人材のプールが少ないために「政権中枢部にアジア専門家が入ることはまれであり、長期的にはそれは日本やアジアにとっても死活的に不利なのではないか」というのは前出の元政府高官の言葉だ。 日本を知る人材が存在するということはアメリカの政策決定の過程に影響を与えるという意味において重要である。米国の研究者は政権、シンクタンク、大学といったところを渡り歩いてキャリアを形成していく。政権交代となるとシンクタンクから政権入りしたり、政権からシンクタンクや大学へという回転ドア現象が数多く見られる。日本の政治・経済・安保問題は複雑で特異であり、語学という障壁の上に、ある程度時間をかけなければ、どう日本が機能しているか、どういう歴史的背景があって、どういう政策がとられてきたのかといった知識の蓄積は容易ではない。こういった人材が存在することは時として硬直性を生むが、往々にして非常に便利である。例えば、現政権の安保チームには、リチャード・アーミテージやマイケル・グリーンといった知日派の政府高官が対アジア政策にかかわっているために、日本政府関係者はコミュニケーションがスムーズに行える。しかも彼らは日本のことも知っているが、実はベトナムやフィリピン、韓国といった他の地域の専門家であったりする。 彼らのような個人以外に、ワシントン・コミュニティーが政策形成過程に与える影響も無視できない。シンクタンク以外にも、政府関連の委託契約を行うコンサルティング会社、市場分析会社、市内の大学・大学院、議会・委員会スタッフ、上院・下院議員スタッフ、各種ロビーイング団体、メディアといったものが政策コミュニティーを形成している。日本という分野において多少なりとも知識を持つ米国人をかき集めればワシントンで六十人程度になるだろうか。これらの人々が密接にかかわり合い、コミュニティーのコンセンサスができていく。 主にシンクタンクを拠点に立ち上げられるタスクフォースやスタディー・グループではこれらの人々が入れ代わり立ち代わり議論し、結論が出される。その内容がリポートや報告書という形で発表され、政権内外へ配布される。ブッシュ政権発足直前に出された“アーミテージ・リポート”もこれらの人々によって議論され、「次期政権が取るべき対日政策(経済・安保)」という形で提言が行われたのも記憶に新しい。このように、このコミュニティーの中、主にシンクタンクの日本専門家たちにより出される、こういった提言は新政権が対日政策の基本を決める大きなポイントとなる。かつ、これにかかわった数人が実際に政権入りすることで、提言が実際の方針として取り込まれるのだ。つまるところやはり、米国での政策の決まり方にインプットできる人材にアクセスできることが日本にとっても死活的に重要なのだが、そのルートがどんどん細くなっているということなのだろう。 日本には戦略的思考が不要? 最近、米中政府要人との会合に参加したCSISの酒井吉廣氏は「日本がプラザ合意以降、自国経済の衰退の方向性に対してどう対処したのか、または日本はどのように経済大国の地位を守ろうとしたのかという点以外は、日本経済のことには全く双方の眼中にない」とし、それは「米国に恭順の意を示した日本と、アジアのリーダーになるためには場合によっては米国とも渡り合う強い意志を持つ中国とでは、戦略的思考そのものが違うため」であり、このことがワシントンでの関心を左右していることは確かである。米議会でも対中関連法案が目白押しだ。また、以前なら、引退したが知日派議員で知られたウィリアム・ロス上院議員や、ジェフ・ビンガマン上院議員などが日本専門のスタッフを抱えていたが、議員のスタッフとして日本を扱う人材を雇うという物好きな議員は現在皆無だ。このことからも日本の戦略的重要性の低下を認めざるをえない。 シンクタンク業界に働く者にとっては、日本への関心がなくなることはバッシングよりはるかに質が悪い。先の元政府高官の言葉に象徴されるように、現在の日本をつぶさに見ている人材が少ないために、ワシントンでは情報や現状認識に著しいずれがある。ずれた情報で政策が作られるのは大変なことだ。安全保障分野は政権との密接なやり取りがあるので少ないながらも比較的粒のそろった研究者がいるが、日本経済となるとずれが激しい。やはり一つにはエコノミストや経済関係の職域が豊富なので、必ずしも政策産業にかかわることが突出した価値とはみなされていないことだろう。例えばポール・クルーグマン氏のような経済学者は政権に入ろうという気は毛頭ないし、産業や財界のトップは必ずしもワシントンDCにはいない。 人材の質の他に、ワシントンでの日本への関心を取り戻すには、「日本経済の復活」だけでは足りない。経済が良くなれば企業からの寄付金や、グラントの可能性も出てくるが、肝心の関心を呼び起こすには米国にとって日本への戦略的思考が必要だと思わせることだ。これは、日本自身が現在の対米依存の関係を見直す、アジアでのリーダー争いに参加するといった、一人前の主権国家として行動する意志があるのかにかかわってくる。ズビグニュー・ブレジンスキー氏がかつて言ったように「日本はカナダのような敵にはなり得ない国」になるのも一つの選択ではあるが、そうなればワシントンでの関心は限りなくゼロに近くなる。 ワシントンに身を置く者からすると、日本が何をしたいのか全く見えてこないことが問題であるように思える。アジアの主導権をとると明確なメッセージを出す中国と、それに呼応する米国を見るにつけ、世界第二位の経済大国でありながら、後ろ向きの姿勢をとるようにしか見えない日本への関心が低下することは自明かもしれないとさえ感じる。この危機的状況を心配して、「日本の存在感がワシントンにないのは大変なことなんだ。アメリカがやらない国連主導や多国間協力の枠組みなど、もっと声を出してもらわないと困る。日本がやらないで誰がやるのだ。その日本の発言力に重みをつけるために早く改革して日本経済を復活させることが必須なのだ。それがわかっているのか」と心ある(?)活を入れるアメリカ人もいる。現在ワシントンで日本関係の職は減る一方で、一度なくなってしまえば新たに作ることはほとんど不可能だ。日本の地盤沈下はワシントンに働く日本人研究者にも重くのしかかっている。 © 2004 Policy Research & Analysis Network All Rights Reserved 無断転載・部分転載を禁じます。 |