新規事業費の1%を政策評価に
(朝日新聞 「論壇」200012月1日)  

上野真城子 (アーバン・インスティテュート)

 

 来年の省庁再編は効率的、国民本位の政府を目標とし、政策評価の導入によって政策の質と政府のアカウンタビリティーを高めることを目指すものと謳われている。これは日本が時代に対応する政治と政策のリーダーシップを持てるか否かの唯一の機会である。米国の政策産業で働く研究者としてこの改革と政策評価導入に批判と提言を試みたい。

 政策は税金で社会の問題を解決するための、社会および個人への働きかけであり変革の方途である。戦後日本の官僚行政はこの政策をいわば独占してきた。政治家は政策形成を官僚に任せ、ただ利権の道具としてきた。本来その所有者である国民は政策に声を反映する道を持てなかった。その結果は政府自身の政策形成能力の低下になり、政府への信頼は失われた。これが現在の社会の無力無関心と閉塞感の根本にある。

 この政策と政治の乖離は政策の「決定」に対する認識の欠落に起因する。民主的国家の政策が全体主義国家の政策と異なるのはその政策の「決定」に政治と国民が関わることにある。日本の国家行政は政策過程に「決定」の存在を無視してきた。今回の政策評価の導入においても、これまでの政策の「立案―実施」を「立案―実施―評価」というサイクルにすることを掲げているが、「決定」に対する認識がない。これでは政治と国民を無力なままに、効率的行政府を強化し政策形成を再度独占することになりかねない。

 米国の社会はこの「決定」にいかに国民が関与し、これを明瞭な合理的なものとするかに膨大な努力を払ってきた。特に一九六〇年代に政権の中枢に社会経済学者と民間人が大量に起用されたこと、そして政府の政策形成に科学的システマティックな分析と思考が導入されたことは大きい。当時貧困解消を目指す大型福祉政策が採られたが、これが都市暴動に結果するに至って、政府は政策を評価する必要に迫られた。米国は民主主義の政治的原則である平等と資本主義の経済原則:効率を同じに追求する、いわば市場と民主主義を両輪として動く国である。人間の尊厳を求める価値とこれと衝突する効率経済のもたらす問題を解決するための政策が「公正」なものであったか。社会の価値観と国家の所得再配分に関わり個人や組織の社会行動に影響を与える政策の効果をどう測定し評価するか。当時の多くの省庁内に出来たこのよう分析評価局には外部から多量の頭脳が投入されこの思考にあたった。政策評価は予算配分の合理性や政策の公正性を説明する知識を得る手段であり、より良い決定のための情報であるが、決して決定に置き代わるものではない。また客観的研究として行政の担当部局がすることではなく、独立的な政府外の知恵が投入されるべきものである。ここから三十年余米国はこの政策の思考の蓄積によって、政策形成と決定を強靭なものとしてきたのである。

  米国の政策形成産業の創出には、もうひとつ一九六六年の一パーセント政策評価保留条項の制定が寄与した。これは新規事業の予算の一パーセントを保留しこれを長官の裁量において評価研究に差し向けるものである。この資金がことに民間独立ノンプロフィット・シンクタンクの興隆と政策分析研究の振興を助けた。

 今回の省庁再編には分析評価室が設置されているが、ここには少なくとも数十名の専門家を、その半数以は外部から人材を入れ、執行担当部局から離れて、独立的に、中長期の視野と政策理念の検証を含めた本格的な政策分析評価研究を行うことを提言したい。そして公共事業を含めて新規施策事業費用の一%は評価研究に保留し、これによって、政府の中と合わせて、政府外部が政策分析評価を行うことが必須となり、政策情報を整備し、政府のアカウンタビリティーを高め、それを基盤として、政府自らが内部と外部に政策形成力を持つ人材と産業の振興と強化をはかることが可能になる。民主主義は終りない行進であるといわれるが、この行進には近道も抜け道もない。この不確実な混迷の二十一世紀の社会を生き抜くためには人々の多様な膨大な思考が生み出されなければならないのである。

 

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